限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第344回目)『ご用心!「歴史に学ぶ」の落とし穴』

2022-03-20 18:22:16 | 日記
全くうんざりするほど、NHKの大河ドラマは武将ものばかりだ。人気があるので、視聴率に自分の給料と出世がかかっているプロデューサーとしては他に代案がないのであろう。この責任は、なにも製作者ばかりに押し付けるわけにはいかない。視聴者にもある。武将ものを見ると勇気と叡智がもらえると感じるのであろう、結末が分かっているにも拘わらずついつい見入っている。

このようなドラマを好む先にあるのが、歴史探訪だ。歴史、つまり過去を知ることで、未来が読めると考えてしまう。もっとも、人間そのものはここ数万年 ― 低く見積もっても数千年 ― 変わっていないのであるから、歴史の記述から読み取れる人間性も現代にも通じるものがあるという歴史好きの主張も一応納得できる。しかし、今更言うまでもないことだが、「過去は過去、未来は未来」。全く別物だ。たとえ過去に同じことが100回起こったとしても、将来にそのままそっくり同じことが起こるという確証はない。そこが、歴史が物理現象を説明する科学などとは異なる点だ。

つまり、ある結果に至る経緯が一定しているわけではないのだ。科学的用語を使えば、歴史的事象はカオス的(カオス理論)であるのだ。カオス理論とは俗に「ブラジルで蝶が羽ばたけば、テキサスで竜巻を起こる」というような些細なことからでも大きな変化が起こることをいう。これと全く対極にあるのが、線形理論だ。昔、ハワイ出身の関取・高見山大五郎が丸八真綿のCMで「2倍2倍」と言っていたが、入力が倍になれば、出力も倍になるような単純な比例関係のことだ。つまり入力の差が小さいなら当然、出力の差も同じく小さい。要は、歴史はカオス理論まで行かなくとも、線形理論のように、単純な理論化、単純な数式化ができないのである。これは、数十年前の社会主義国崩壊で、マルクス理論が破綻したことを思い出すだけで十分であろう。

ところで、歴史といえば、数ある文明国の中でも中国人の歴史好きは超弩級と言っていいであろう。他の文明国でも歴史書は数多く残されているが、2000年以上にも渡って、国家的事業として公的な歴史書(正史)が連綿と書き継がれてきたのは中国だけと言っていい。その一つの大きな理由は、「何事も正統・権威は過去のものにある」とする中国人の歴史観、尚古趣味にある。極端なことを言えば、2000年前であれ、1000年前であれ、過去に起こったことは昨日起こったことと考慮すべき価値は全く同じだ、ということだ。



この観点に立てば、現在の状況にどう対処するかは、先ずは過去の歴史的事例を探すことから始まる、ことは容易に想像がつく。似た状況の事件の経緯・結末を調べ、現在の状況への対処のしかたを考える。しかし厄介なことに、過去に同じような状況下で同じような言動でも結果が真逆なケースが見つかることが多々ある。例えば、宋の文人・洪邁の『容斎随筆』(巻五)に次のような文が見える。

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 『容斎随筆』(巻五)《上官桀》

漢の上官桀が天子の馬小屋の管理人(未央厩の令)であった。武帝が暫くの間、病気で臥せっていた。治ってから馬を見に来たところ、多くの馬が痩せていた。武帝は大いに怒って「お前は、ワシがもう二度と馬を見れないとでも思っていたのか!」と怒鳴り、処罰しようとした。上官桀は、頓首して(頭を地面にうちつけ)、「私は、主上のお体が心配で日夜、そのことばかり考えていて、馬のことなど頭にのぼりませんでした」と言いながら、涙を流した。武帝はその態度に感じ入り、上官桀を側近に抜擢して信頼した。そしてついには幼い皇帝の昭帝を補佐するようにとの遺言まで賜った。

義縦が右内史(都知事)になった。武帝が鼎湖を行幸した。その後、長らく病気に伏せたが、治ってから甘泉に行幸した。途中の道路が整備不良でがたがた道であったので、怒って「義縦はワシが二度とこの道を行けないとでも思っていたのか!」と根にもった。そしてとうとう、他の事件にかこつけて処刑(棄市)した。

この二人は当初、罪を得たのは同じだった。上官桀は一言言うだけで抜擢され重用されたが、義縦は処刑された。幸、不幸ということだ。

漢上官桀為未央厩令、武帝嘗体不安、及愈、見馬、馬多痩、上大怒:「令以我不復見馬邪?」欲下吏、桀頓首曰:「臣聞聖体不安、日夜憂懼、意誠不在馬。」言未卒、泣数行下。上以為忠、由是親近、至於受遺詔輔少主。

義縦為右内史、上幸鼎湖、病久、已而卒起幸甘泉、道不治、上怒曰:「縦以我為不行此道乎?」銜之、遂坐以他事棄市。二人者其始獲罪一也、桀以一言之故超用、而縦及誅、可謂幸不幸矣。
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洪邁が指摘するように、二人(上官桀と義縦)は共に、漢の武帝の家臣であって、おなじように職務怠慢で叱られたが、一人(上官桀)は処罰されるどころか信任され出世したが、もう一人(義縦)は、命まで取られる始末だ。このように、歴史から教訓を学ぼうとしても必ずしも一筋縄では行かないというのが洪邁が言いたかったことなのだ。

もっとも、「歴史から教訓を学べる」と主張する人は、「二人の運命の差は、その人間性やぞれまでの言動から来ている」と言うであろう。つまり、善因善果、悪因悪果、であるから、義縦は過去に悪果を導くようなことをしているはずだとの論理だ。このような考え方は一見論理的で説得性があるようだが、数年前に起こった「池袋自動車暴走・飯塚幸三事件」を思い出してみれば、瞬時にバカげた理屈だと分かる。 2019年4月に、旧通産省工業技術院の元院長の飯塚幸三氏が車を暴走させ、松永真菜さんと娘の莉子ちゃんをひき殺した。飯塚氏は事故後、すぐに逮捕されなかったため「上級国民」と批判された。さて、この事件の被害者の松永さん親子は悪果を蒙ったのだから、悪因悪果説では二人には隠された悪因があったはずでなければならないが、そうだろうか?あるいは、最近のロシア軍のウクライナ侵攻で、ミサイル攻撃や空爆を受けて殺害されたウクライナ人も何らかの悪因があったのだろうか?

結局、全てにおいてそうだが、歴史を知らないよりは知っているに越したことはないが、前例にこだわり過ぎたり、前例を法則化する愚は避けなければならない。論語にいう「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」(過猶不及)である。
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