限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第358回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その201)』

2018-05-17 17:29:31 | 日記
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【300.標榜 】P.4152、AD470年

『標榜』とは現在では「主義・主張などを公然と掲げあらわすこと」のように、どちらかというと「主張を明確にする」という行為を抽象的に表現する意味で用いられることが多いように思う。

辞源(1987年版)をチェックすると、次の3つの意味が挙げられている。
 1.掲示、品評
 2.宣揚、誇耀
 3.題額

現代日本語で使われている意味と完全にぴったりと一致する意味はここにはないことが分かる。また、「ひょうぼう」には同じ発音、同じ意味で次の3つの書き方があるとも説明する。
 摽榜、標搒、標牓

なぜ、このように3つもの字があるかと言えば、それぞれの字(標、榜)に同音・同義の字が存在することが原因だ。
 ひょう=標、摽
 ぼう=榜、搒、牓

これから分かるように、漢字というのは、本質的に一般的に考えられているような表意文字ではなく「ちょっと難しい発音記号」と考えると分かりやすい。つまり大半の漢字は表音文字(形声)であるのだ。

「標榜」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると下の表のようになる。『南斉書』が初出ということはかなり新しい語句だといえる。しかし、歴代、あまり使われることのない単語であることもわかる。また、辞源には3つの書き方があるとの説明があったが、実際に二十四史で見つかったのは摽榜と標牓だけである。



さて、資治通鑑で「標榜」が使われている場面を見てみよう。

その南斉の初代皇帝・蕭道成が宋の明帝に簒奪の志を抱いているのではないかと疑われたのを、機智で乗り切った場面。

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南兗州の刺史(長官)の蕭道成は長らく、戦場にいた。それで、都では蕭道成の異様な人相からすると皇帝になるに違いないとの噂が流れた。明帝は噂に惑わされて、蕭道成を宮廷に呼んで黄門侍郎に任命し、越騎校尉を兼ねさせようとした。

蕭道成は自分が疑われているので、宮廷に戻りたくないと思ったが、軍中に留まる口実を思いつかなかった。その時、部下の冠軍參軍で広陵出身の荀伯玉が蕭道成に、騎兵数十人を、北魏の国境に送り、標榜を設置するように勧めた。北魏は案の定、敵(宋)の騎兵が何をしたのかを確認するためにすぐさま、騎兵数百人を国境沿いに派遣した。蕭道成は「敵兵が国境沿いに出現しました」と上奏したので、明帝は、蕭道成を前職に戻した。

南兗州刺史蕭道成在軍中久、民間或言道成有異相、当為天子。上疑之、徴為黄門侍郎、越騎校尉。

道成懼、不欲内遷、而無計得留。冠軍參軍広陵荀伯玉勧道成遣数十騎入魏境、安置標榜、魏果遣遊騎数百履行境上;道成以聞、上使道成復本任。
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中国に「上有政策、下有対策」(上に政策あれば下に対策あり)という諺があるそうだ。ここに見る荀伯玉の対策などはこの諺を地でいく。

日本の国会では、野党が評決に反対する時に「牛歩作戦」を行う。昔はしばしばあったし、最近でもたま~に見かけるが、これなど実効の伴わない、全く徒労するだけの愚策であると私には思える。(そのうち、目端の利いた中国のベンチャーは日本の国会向けに「牛歩ロボット」を開発し売り出すだろう!)野党議員に言いたい、「たわいもない牛歩作戦より、荀伯玉のように人の心理の奥を読んだ実効ある対策案を考えよ!」

続く。。。
コメント
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