限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

百論簇出:(第124回目)『Private Sabbatical を迎えるに当たって(その2)』

2012-04-05 23:25:51 | 日記
前回から続く。。。

前回書いたように、Private Sabbatical の期間にやり遂げたいと考えている、私の関心のあるテーマについてこれから一つづつ説明しよう。

先ず今回は、『1. 原典で読む、宋以降の中国の歴史の実態』について説明したい。

このブログでも何回か言及した内藤湖南は京都大学の支那学の碩学である。しかし、元は日本の古典に精通していた。その湖南によると、日本の現代文明を考えるには、応仁の乱(1467 - 1477)以降を考えるだけでよ、との話だ。私には、湖南を否定するだけの資料も見識もないのでこれをそのまま受けざるを得ない。湖南によると日本の2000年以上の歴史で現代に影響を及ぼしているのが応仁の乱以降の日本である、という。しかし、大体において現代日本の考え方・風習の中核と形成しているのは江戸時代と明治時代だと私には思える。特に、江戸時代の町衆(江戸、京都、大坂)と農村の風俗・習慣が現代日本のベースを形成している。

さて、現在の日本は東日本大震災からの復興やデフレ経済脱却を合言葉に、『改革』の文字を多く目にするが、こういった改革期には決まって、幕末に活躍した吉田松陰や坂本龍馬の名挙がる。 2000年にもわたる長い日本の歴史の中には幾多の偉人・英傑がいたはずなのに、現在の日本人が改革や変革に立ち向かおうとする時にはきまって幕末期・明治維新の時代に思いを馳せる。つまり日本人を鼓舞する精神的源泉は百数十年前の幕末・明治維新にある、と言えよう。

ここで一言、吉田松陰や坂本龍馬に関して私の考えを述べておきたい。私もこの2人が幕末に果たした役割は高く評価している。しかし、世間のあまりにも高い評価と、彼らの言動を無批判的に是認することには多少の危惧を覚える。以前、 『陽明学を実践する前にすべきこと(続編)』で、あまりにも陽明学に頼り切ることの危険性に関して述べた。現在の我々のようにグローバル(国際)社会に生きる人間としては、単に日本だけで通用する情緒、論理だけでは足りない。今の我々に求められているのは、日本だけに止まらず、時代性や民族性を超えた普遍性を身につけることだと私は思う。

さて、日本人の風俗・習慣のベースが江戸時代であり、精神的源泉が幕末・明治維新にあるとした時、それでは中国人の風俗・習慣のベースと精神的源泉はいつになるのだろうか?

ざっくりと言って中国の歴史は日本の倍の4000年ある。しかし、日本人と比べて、中国人にとって、歴史の重みは年代の長さでは図りしれないほどのものがある。日本は百数十年前の明治維新が歴史的な大変革期であったため、精神的源泉がその時点の一点に集中している観がある。一方、中国では異民族の侵略と抗争の大変革期は長い歴史の中、波状的に何度も訪れている。それ故、日本人がイメージする吉田松陰や坂本龍馬に該当する英傑は、史記などの活写されている先秦時代から始まってどの時代にも存在して、彼らの行動規範の鑑となっている。

もう一方の中国人の風俗・習慣のベースはというと、日本人が漢文を通して知っている世界ではない。我々が漢文で読む時代とは春秋戦国時代から漢、三国志、唐の時代である。西暦でいうと紀元前600年ごろから900年ごろまでの 1500年間である。(資治通鑑の記述範囲)しかし、唐が滅んで五代十国と言われる混乱期がすぎて、北宋の時代から中国は近世に入った。

冒頭で述べたように、内藤湖南が現在の日本の姿は、応仁の乱以降に作られたと言うのに対して、中国は宋(建国は西暦960年)が現在の中国の原型を作ったといえよう。当時の栄華の様子は『東京夢華録』や『夢梁録』に詳しく描写されている。そこの書かれている庶民の活気といい、猥雑さといい、まさに現代の中華の街そのものである。



これらの本はありがたいことに現代語訳が出ているが、この時代を記述した正史である『宋史』は字数が何と500万文字もあり(史記の約十倍)、膨大すぎてとても読めない。正史は、残念ながら『宋史』以降は事務的に編纂された上に極端に肥大化したので、情報源としては重宝するものの、もはや私のような一般人がわくわくして読める本ではなくなってしまった。

それを補う形で、正史を簡約化し、学者の良心的な校訂を経て出版されたのが『続資治通鑑』であり『明通鑑』であった。私は、かつて資治通鑑を通読した経験がある。合計で1万ページもあり、足掛け数年かかった(但し、実質は1年)。多大な時間がかかったものの、日本語で出版されている中国の歴史ものなどからでは到底想像できないほどの衝撃を受けた。中国の史書の原典がもつ、簡潔でありながら活き活きとした描写で、あたかも眼前に光景が髣髴とするようだった。

この時から、機会があれば是非、資治通鑑の続きを読みたいと熱望するようになった。今回の Private Sabbatical を機にこれら二書(『続資治通鑑』『明通鑑』)を『原典で読む』ことで『宋以降の中国の歴史の実態』についてもう少し見識を深めたいと考えている。

【参考図書・参考ブログ】
 『東京夢華録・宋代の都市と生活』(平凡社東洋文庫)孟元老(入矢義高、梅原郁・訳)
 『夢粱録―南宋臨安繁昌記』(平凡社東洋文庫)呉自牧(梅原郁・訳)
 『中国近世の百万都市』(平凡社)J・ジェルネ(栗本一男・訳)
 出口治明氏特別講義:『中国の歴史と思想(2)』

続く。。。
コメント
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