限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第58回目)『都会の隠遁、田舎の隠遁』

2011-01-01 21:18:22 | 日記
イソップの中に『町のネズミと田舎のネズミ』(THE TO WN MOUSE AND THE COUNTRY MOUSE)という寓話がある。ストーリーは、ご存知のように、田舎のネズミが町のネズミの棲家に招かれて、豊富なご馳走に圧倒されるものの、ネコに追いかけられおちおちと食事ができないので、田舎のネズミがまた田舎に戻るというものである。つまり古代ギリシャでは、田舎生活の不便さより、気楽さのほうが好ましいという評価があったということである。(参照:『澤雉の自由』

ところで、ギリシャ語で ασκησισという単語がある。元来は訓練、練習という一般的な意味であったが、宗教的に苦しい訓練、つまり苦行するという特殊な意味を持つようになった。それで英語で ascesis というと、もっぱら鍛錬・苦行という意味で用いられる。

その鍛錬の場所が俗世間から全く隔絶された場所が望ましいとされたようだ。古代から有名な修行の場所がギリシャの北部の都市、テッサロニキの近くのアトス山といわている聖地である。ここは高野山同様、女人の立ち入りが禁止されている。さらに中世になると、アテネの北西のギリシャの中部にそそり立つ奇岩群の頂上に修道院が建築されたが、それはあたかも中空に浮いているようだとして、メテオラ(Μετεωρα)と呼ばれた。同じギリシャ人でも、田舎は気楽な生活をおくる場所ではなく、隠遁者の厳しい修行の場として考えられたということになる。

厳しい修行の場と言えば、ユダヤ人も旧約聖書のモーゼや新約聖書の預言者ヨハネが人里離れた砂漠の中で修行したように、脱世俗、つまり隠遁場所は田舎に限ると考えていたことが分かる。



一方、中国では隠遁場所はどこがよいと考えていたのだろうか?

易経の『大過』には、次の句がある。『君子は独りもって立ち懼れず、世を遯れ、悶えなし』(君子以獨立不懼、遯世無悶)。物の道理が分かった君子なら、世を避けて隠遁するには、場所を選ばない。どこに暮らしても平穏に暮らしていけるのだ、という理想を掲げる。しかし、これはあくまでも理想であって、実際的には住む場所は選ばれていたようだ。その場所とは、悟りの度合いに依存する。文選の巻22に晋の王康居(本当は王偏がつく)の『反招隠詩』が載せられているが次の句が見える。
『小隠は陵藪に隠れ、大隠は朝市に隠る』(小隱隱陵薮、大隱隱朝市)

つまり『肝っ玉の小さい隠遁者は無理に世俗を離れようとして、田舎の山中に住もうとするが、達観した隠遁者は、都会のスーパーマーケットの近くの、暮しに便利な所にすむ』というのだ。いかにも実利的な中国人の考えそうなことだ。

この実利的な考え方は、その後の中国でも実践されていたことは、『宋名臣言行録』に魯宗道という大臣の次の話からもうかがえる。

宋の第三代皇帝の真宗がまだ皇太子であった時、急用があって魯宗道を呼び出そうとし、使いを出したが外出していた。暫くすると魯宗道が自宅の隣にある飲み屋から戻ってきた。それで使いが早く参上するように促した。宮中に着いた魯宗道に真宗が詰問した。

真宗が『どうして飲み屋などに行っていたのか?』と問うた。魯宗道が答えて言うには、『私の家は貧しくて、食器などは揃っていませんが、飲み屋にはそれらが全部あります。それで、客がくるといつも厄介になるのです。今日はたまたま故郷から客人が来たので、一緒に酒を飲んでいました。しかし、私は私服に着替えたので、飲み屋の客達は私のことは分からなかったはずです。』
(原文:真宗問「何故私入酒家?」公(魯宗道)謝曰、「臣家貧、無器皿、酒肆百物具備」賓至如歸、適有郷里親客、自遠来。遂與之飲、然臣既易服、市人亦無識臣者。)

これからすると、宋代では大臣クラスといえども自宅は下町情緒あふれる場所にあったということが分かる。つまり隠遁する、しないに拘わらず、田舎などより都会の、それも雑踏の中が便利で住みよい、というのが中国人の常識であったといえよう。。

最後に、日本の場合を考えてみよう。鴨長明が方丈記に書いているように京都近郊のちょっとだけ離れた田舎に数年住んだだけで、その不便さに疲れ果てて、懐かしの京都にまい戻ってきている。つまり日本人にとって田舎のような隠遁場所というのはあくまでも観念的な話に過ぎなかったのだ。更には、空海や最澄、道元が俗世間を離れたところに建設したはずの修行者の道場が今や完全に俗化した町となっているということも指摘しておきたい。

結局、ギリシャやユダヤの隠遁者が全く人手の入らない自然の中に安らぎの場所を見つけるのに反して、日本(そして中国もそうだが)の隠遁者は、そのような本当の自然の環境には耐え切れず、ついには俗界に舞い戻る。これらの事が、以前のブログ記事
連載記事:『道具に技巧をビルトインする発想』(2/3)
で述べた『日本人は自然が大嫌い』『日本人は自然との共生が苦手』という結論の傍証の一つである。
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