獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

増田弘『石橋湛山』を読む。(その18)

2024-04-12 01:06:42 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想には、私も賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

そこで、石橋湛山の人生と思想について、私なりの視点から調べてみました。

まずは、定番というべきこの本から。

増田弘『石橋湛山』(中公新書、1995.05)

目次)
□はじめに
□第1章 幼年・少年・青年期
□第2章 リベラリズムの高揚
□第3章 中国革命の躍動
■第4章 暗黒の時代
□第5章 日本再建の方途
□第6章 政権の中枢へ
□第7章 世界平和の実現を目指して
□おわりに


第4章 暗黒の時代――1930年代・40年代前半
□1)金解禁論争
□2)ロンドン海軍軍縮会議
□3)満州事変
□4)日英関係改善の提唱
□5)二・二六事件批判
□6)日中戦争批判
□7)日独伊三国軍事同盟批判
□8)大東亜共栄圏構想批判
□9) 太平洋戦争批判
■10)敗戦後に向けて


10)敗戦後に向けて

(前略)
……

「植民地の維持経営には案外に大きな負担がかかっている。戦敗の結果この負担が一挙になくなることは、それだけ日本が身軽になったことで、将来は大いに望みがある」と反論した。それは湛山の長年に及ぶ持論であった。のちに中山は湛山の慧眼に敬意を表している(中山伊知郎「達見」)。
さてこの頃戦局は日本にとって一段と厳しいものとなっていた。1945年(同20)4月、米軍が沖縄本島に上陸し、5月、ドイツが降伏した。7月、「ポツダム宣言」が発せられ、ついに8月、原爆投下とソ連参戦により、日本は無条件降伏を受諾した。この間湛山は次男和彦(海軍主計中尉)をケゼリン島で失う悲報に接したばかりか、東京芝の居宅を空襲で焼失した。また敗戦間際の4月、新報社の編集局などを秋田県横手町(現横手市)に移すと同時に、自ら疎開した。そしてこの地で湛山は敗戦を迎えるのである。


解説
(「第4章 暗黒の時代」は、湛山の活発な言論活動を紹介していますが、大幅に割愛しました)


やがて、日本は敗戦を迎えますが、湛山はけっして悲観することなく、新しい日本の未来にむけて、準備を開始するのです。
あらためて湛山の慧眼に敬意を表します。


獅子風蓮