獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

増田弘『石橋湛山』を読む。(その13)

2024-04-03 01:59:36 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想には、私も賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

そこで、石橋湛山の人生と思想について、私なりの視点から調べてみました。

まずは、定番というべきこの本から。

増田弘『石橋湛山』(中公新書、1995.05)

目次)
□はじめに
□第1章 幼年・少年・青年期
□第2章 リベラリズムの高揚
■第3章 中国革命の躍動
□第4章 暗黒の時代
□第5章 日本再建の方途
□第6章 政権の中枢へ
□第7章 世界平和の実現を目指して
□おわりに


第3章 中国革命の躍動――1920年代
□1)小日本主義
■2)満州放棄論
□3)ワシントン会議...一切を捨てる覚悟
□4)中国ナショナリズム運動... 「支那」を尊敬すべし
□5)山東出兵...田中サーベル外交は無用
□6)北伐完成後の満蒙問題... 危険な満蒙独立論

 


2)満州放棄論
湛山の小日本主義にとって大きな柱の一つ、それが満州放棄論であった。日露戦争以来、日本国民の間では満州を「20億の国帑(国家財産)と10万の英霊が眠る聖域」とみなす特殊な感情が定着し、また「満州は古来満州民族の地であり、漢民族の支配地ではない」とする対中国歴史観ないし民族観があり、さらに日本人の大国意識としての中国蔑視と、政治的分裂と社会的混乱を繰り返す中国の現状認識とが加わって、日本の満州領有を当然視する国内世論が形成されたのであるが、湛山は大正初期以降、中国の革命運動およびナショナリズム(民族主義)運動を終始肯定すると同時に、日本政府・軍部の対中国干渉政策や一般国民の中国軽視の態度を厳しく批判し、満州の全面的放棄を唱え続けたのである。

ただしこの満州放棄も、小日本主義と同様、三浦によってわが国で初めて体系的に主張された。三浦は論説「満州放棄乎軍備拡張乎」(1913年1月5日号~3月15日号)で、第一に政治上、満州の主人は中国であり、日本が政治的に同地を掌握しても一時的にすぎない。第二に経済上、とくに満州の経済的発展を促進するだけの理由がなく、このためにわが国の経済的財政的負担を増す。第三に国防上、満州掌握の政策はそれだけに止まらず、中国分割政策の「階梯」となり、それは中国大陸に欧米列強の勢力を誘致する結果、日本の国防を危うくする。第四に外交上、満州掌握ないし大陸発展政策は日英同盟の精神と根本的に合致しない。それゆえ満州を放棄するほかなしと論じた。ただし三浦の主張する満州放棄とは、日本の国防線を長春の北の「鉄嶺線」から「旅順および朝鮮国境」まで後退させるとの意味であり、湛山が唱える植民地全廃論に基づく満州放棄論とは異なっていた。

湛山は上記のような三浦の見解を継承するとともに、自己の民主主義・自由主義・平和主義の思想哲学を加算して、1910年代に一段と体系化された満州放棄論を形成していった。そして1920年代初頭にその満州放棄論(広くは植民地放棄論)は完成段階へと達した。それは(1)政治・外交、(2)経済、(3)人口・移民、(4)軍事、(5)国際関係の諸論点から成っていた。

(1)政治・外交的論点
なぜ満州は政治・外交上放棄されねばならないのか。その一義的理由は満州が中国領土の一部であり、中国人を主権者とする外国の地であるからである。そこには多数の中国人が居住し、農工商などあらゆる営業に従事し、財産を所有している。また諸外国は種々の形で資本を投下し、貿易を行なっている。にもかかわらず、わが国は朝鮮と同様に満州を併合しようとしている。これは「由々敷問題」である。なぜならば、それは中国人および外国人の利益を無視し、全中国の民心を不安に陥れ、反日感情を激化せしめ、諸外国から非難を被ることとなるからである。このような侵略的態度は、一つには日清・日露戦争で勝ち、「己れがと云う増長慢を生じた結果」(1915年4月5日号小評論「対外交の失敗ほか」『全集②』であり、もう一つには「日本の国格を斯くの如く下劣にした……元老、軍閥、官僚、財閥の特権階級」の存在がある。「実際公平に見て、日本ほど公明正大の気の欠けたる国はない、自由平等の精神の乏しき国はない、換言すれば官僚的、軍閥的、非民主的の国はない」(前掲社説「袋叩きの日本」)。
しかし現実に中国内部は分裂し、抗争し、混乱に混乱を重ねているではないか。中国人はいぜん旧弊に堕し、国家の統一独立の気概すら持たないではないか。湛山はこのような日本国民の中国観に反駁する。「支那の革命は成功しえないなどと断ずるは軽率極った事である」(1912年6月25日号社会「労働問題の性質の変化」『全集①』)。日本の明治維新でさえ、その安定に10年を要した。中国は日本の30倍近い面積だから、革命はおいそれとは片付かない(1916年6月25日号小評論「支那の動乱と我が維新」『全集②』)。排日運動についても、「大抵の場合に於て、或る民族の独立統一運動は、先ず排外の形を取って現われる」。それは日本の尊王攘夷運動と同じであり、ゆえに「其根柢は極めて深固強大である」と説いた。しかも「今や支那は……世界の各地に出懸けて新教育を受け、新知識を得て帰来せる多数者が、実際に活動する時代に這入って来たのである。吾輩は此の新支那に注目せんことを邦人に切望する」(1915年11月25日号小評論「支那の産業活動」『全集②』)。
では今後日本はどうすればよいのか。湛山は、気を永く持ち、中国人の政治的希望を第一に尊重し、無理に一方を圧迫したり、他方を支援したりしないこと、諸外国が中国の政争に干渉しようとする場合、わが国はこれを排斥すること(前掲小評論「支那の動乱と我が維新」ほか)、また「功利一点張りで行くことである、我れの利益を根本として一切を思慮し、計画することである。我れの利益を根本とすれば、自然対手の利益を図らねばならぬことになる、対手の感情も尊重せねばならぬことになる。……我等は曖昧な道徳家であってはならぬ、徹底した功利主義者でなければならぬ」(1915年5月25日号社説「先ず功利主義者たれ」『全集①』)。
要するに、日本のみならず世界すべてが植民地を放棄する必然性を湛山は予測した。 「此の際青島も還したい、満州も還したい、旅順も還したい、其の他一切の利権を挙げて還したい、而して同時に世界の列国に向かっても、我が国と同様の態度に出でしめたい、而して支那をして自分の事は自分で一切処理するようにせしめたい。日本の為め、支那の為め、世界の為め、これに越した良策は無い」(前掲小評論「干渉好きな国民」ほか)。このような植民地全廃論の観点から、日本としては満州を一時も早く放棄すべしと主張したのである。

(2)経済的論点
では経済上なぜ満州を放棄すべきか。湛山は当時の日本人の抱く常識、すなわち日本は資源に乏しく領土狭小ゆえに、資源豊かな他国の領土を掠奪併合するほかに国家発展の途はない、との見解を根本から否定した。つまり、植民地を領有しても日本人が期待するほどの利益をもたらしていないと主張した。そしてこの事実を多くの資料や統計を駆使して明示した。たとえば1920年(大正9)の日本の輸出入総額を、朝鮮・台湾・関東州の三植民地と、米国・インド・英国の三国とで比較してみると、三植民地との貿易総額は9億1500万円であるのに対して、米国とは14億3800万円、インドとは5億8700万円、英国とは3億3000万円であり、日本の経済的自立という観点からすれば、三植民地よりも後者三国がはるかに重要であること、しかも三植民地が工業上必要な原料である鉄、石炭、石油、綿花、そのほか米、羊毛にしても十分な供給地でないことを実証した(1921年7月30日号~8月13日号社説「大日本主義の幻想」『全集④』)。こうして湛山は日本人が当然視する植民地必要論を「幻想である」と論断したのである。
では今後日本は中国に対してどのような経済・貿易政策を実施すべきか。湛山は、わが国は急速に中国の「富源」を開発し、中国経済の発達(鉄道、鉱山、油田、治水事業、貨幣・金融等)を促すことであり、そのためには中国全土を「機会均等主義」の下に列強に開放し、欧米先進国民の「無限の資本」と「優秀なる企業力」を最大限に中国に流注せしめ、活動せしめることである、そのような事態が生ずれば、日本の中国貿易はますます増進し、これに刺激されてわが商工業は目覚まし隆興を来すはずである(前掲社説「重て青島領有の不可を論ず」)と提言した。ところが 実際のわが国は排他的な領土主義・門戸閉鎖主義を取り、自由貿易主義と機会均等主義を妨げて いる。それは日本の経済発展の阻害要因となっている。それゆえ満州を含む全植民地の開放が不可欠であると強調した。

(3)人口・移民的論点
ではなぜ人口・移民の観点から満州は不要であるのか。前述のとおり、湛山は「領土狭小・人ロ膨張のわが国にとって、海外移民は人口問題解決上不可欠な手段である」との認識を「謬想」であると指摘した。なぜか。今日では工業が発達し、物資の輸出が活発となり、食料はたとえ国内で生産しなくとも、世界に大市場が控えており、食料の獲得も自由自在であるからである。むしろ湛山は、政府の膨張主義の一環として移民政策が奨励されている点に異議をはさみ、人口過剰に伴う移民必要論を経済的見地から斥けた。
たとえば1918年(同7)と19年(同8)の調査では、外地(台湾・朝鮮・樺太・関東州を含む全満州など)に住む日本人は総計80万人に満たないのに対し、日本の総人口は1905年(明治38)から18年(大正7)までに945万人増加し、現在6000万人を有している。一人でも海外へ送り出せば、それだけ人口問題が解決したといえなくはないが、わずか80万人のために6000万人の幸福を忘れないことが肝要であると論じた(前掲社説「大日本主義の幻想」)。

(4)軍事的論点
では軍事上もしくは国防上、なぜ満州を放棄しなければならないのか。すでに湛山は、世界各国民の利害関係が今や錯綜してきたため、文明国間の戦争が不可能となりつつあるとの戦争認識を示した。しかし現実のわが国は、戦争は儲かるものとの旧来の戦争観に則って膨張政策を取り、満州はじめアジア大陸への支配強化を図っている。それは日中関係を悪化させると同時に、日米対決を深め、日米軍拡競争を生み、ひいては日米戦争の危険をもたらすなど湛山にとっては憂うべき状況であった。
湛山の立場からすれば、軍備を整える必要は、他国を侵略するか、他国に侵略される恐れがあるかの二つの場合以外にはなく、もし他国を侵略する意図もなく、他国から侵略される恐れもないならば、警察以上の兵力は、海陸ともに用はないはずであった。「若し(米国その他の国が)我国を侵略する虞れがあるとすれば、そは蓋し我海外領土に対してであろう。……戦争勃発の危険の最も多いのは、寧ろ支那又はシベリヤである。……ここに戦争が起れば、起る」。とすれば、わが国が中国またはシベリヤへの野心を棄て、また満州、台湾、朝鮮、樺太なども不要であるとの態度に出るならば、戦争は絶対に起らない。したがって、わが国が他国から侵略されることも決してない(前掲社説「大日本主義の幻想」)。
要するに、日本が本土以外に領土を保持しなければ、無意味な戦争を防止できるし、軍備費も削減でき、それだけ国家財政に好影響を与える。日本の国防は日本海・太平洋の四囲の海で十分である。したがって満州など植民地を放棄すべしとの見解であった。

(5)国際関係的論点
では国際関係上、なぜ日本は満州を放棄しなければならないのか。それは要するに、日本が国際的孤立を深めているからである。パリ平和会議以後の日本を取り巻く極東情勢は、湛山の眼には一層厳しいものと映った。1920年(同9)1月24日号社説「日米衝突の危険」(『全集③』)で次のように論じた。
「若し思慮ある人に向て、日米間に戦禍を捲起す危険ありやと問えば、大抵一笑に付して問題にせぬであろう。……けれども一度、日米両国の間に支那を取入れて見る時は、両国の関係は、頗る色彩を改めて来る。……支那の独立統一の運動は、先ず此脅威(我国の支那に対する領土的、経済的な帝国主義的野心)に対抗し、其圧迫を掃(はら)い除けることが、一大要件だ。……そこへ米国が這入って来る。均しく支那に於て、経済的に帝国主義的野心を逞しうせんと、多年狙って居た米国が支那の此統一運動の味方として、援助者となって、参加して来る。……若し一朝日支の間に、愈よ火蓋が切られる時は、米国は日本を第二の独逸となし、人類の平和を撹乱する極東の軍国主義を打倒さねばならぬと、公然宣言して、日本討伐軍を起し来りはせぬか」。
しかし日米は戦ってはならない、と湛山は断言する。なぜか。戦争は勝敗に関係なく何らの利益をもたらさないからであり、また経済・貿易上日本にとって米国ほど重要な国はほかにないからである。

では日米戦争を回避する方法とは何か。湛山は、①日米の太平洋上の軍備を撤廃する、②日本は日英同盟を廃止し、イギリスのための「東洋の番犬」から脱却し、極東からイギリス勢力を除く、③日米対立の根幹をなす満州・山東その他の中国利権を日本がすべて放棄し、開放することを提言した(同年5月22日号財界概観「日英同盟」 『全集③』および1921年8月27日号~9月10日号社論「軍備の意義を論じて日米の関係に及ぶ」『全集④』)。それが日米の対立を回避する方途であり、ひいては日本が国際的孤立から脱する手段であると湛山は結論したのである。

以上を要約すれば、第一に、日本が中国に南満州などの植民地や諸種の特権を保持する限り、中国民族の反日感情は消えず、それは両国間の政治・外交・経済・貿易上の阻害要因となる。第二に、満州などの植民地が天然資源や過剰人口の捌け口としては一般に想定されているほどの価値をもたず、また日本は海外領土をもつだけの国内資本に恵まれていない。第三に、植民地領有は軍事支出を増し、国家財政を圧迫し、結局国民生活を悪化させ、さらに無益の戦争を生起させ危険をもたらす。第四に、植民地領有は列国、とくに米国との対立を生み、日本の国際的孤立化をもたらす。そして第五に、民族主義(ナショナリズム)運動の高揚により、植民地の分離独立は将来不可避の運命にある。したがって湛山は満州を放棄するほかなしと結論したわけである。

 


解説

石橋湛山は、このように理路整然と、湛山の「小日本主義」にとって大きな柱の一つ、「満州放棄論」を主張するのでした。

 

獅子風蓮