■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)
●の文章は、それについたコメントの引用です。
■創価脳でもわかる創価の疑問その4 なぜ創価脳(思考停止)になるのか? 投稿日: 2018年8月18日
創価脳でもわかる創価への疑問シリーズ第4弾は「なぜ創価脳(思考停止)になるのか?」です。
おそらくこのブログで初めて「創価脳」という言葉が生まれました。みなさんとの対話の中で自然と生まれた言葉です。創価学会に入ったばっかりに「創価脳」になってしまった。これは自然となるのではなく、明らかに創価学会という組織が意図して会員をそのような思考しかできないようにしているものと考えられます。
(以下省略)
●ダイナム(2018年8月21日 06:18)
お早うございます。
ダイナムです。
どん兵衛さん。
情報ありがとうございます。
録音図書であるか調べてあれば借りてみます。
ダイナムが創価脳の時は
信心のためなら、学生の時は
よく早退していました。
学生部の戦いをしていました。
教師に注意されても、
学会のが大事だと反論していました。
思考停止でした。
脱会した後、教師に詫びの電話をしました。
教師は、おまえの考えは創価一色でどうしょうもなかったと言われました。
今は、笑い話になりました。
去年だと思いますが、先生から電話がきて、
おまえが活動したのは正しかったと言われビックリです。
ダイナムが知らない間に創価に入ったのでした。
学生の時注意した先生が、創価脳になっていました。
先生は、この信心は正しい、池田先生にまたついてこいでした。
先生は80才なので、創価は詐欺と言おうかどうしようか考えています。
今年だと思いますが、電話したら、
創価に入る気持ちがないなら
電話してくるなです。
●チューリップ(2018年8月22日 23:21)
失礼致します。
外部のチューリップです。
シニフィエ様、いつもすみません。
シニフィエ様、水を差すようで、申し訳ございません。
私が今までの皆様方のコメントの中で、一番心が苦しくなったことは、親から子どもへのマインドコントロールについてです。その中に今のご説明にありますような洗脳めいた事でマインドコントロールをされていたようなことがあるのではないのかな?と言うことで、私の中では一番の大問題だと思っております所でありまして、親から子どもへの思考停止教育において、本当に言葉だけで行われているのであれば、それで良いのですが、子ども達は親から見放されたら生きてはいけませんし、他に帰る所もありません。自分は確かにマインドコントロールだけだったと皆様方が言われるのであれば、私の思い過ごしの考え過ぎの勘違いで、その方が良いのですが、両方を巧みに使っておられたりのご家庭もあったりするのではないかなと思ったりの次第であります。今現在進行形でどこかで、そこまで酷くなくても軽く洗脳めいた事が行われていなければ良いのですが。。。。
すみません、気になったので、コメントをさせて頂いてしまいまして、申し訳ございません。
シニフィエ様、いつもすみませんが、問題がありましたらご遠慮なく削除願います。
すみませんがよろしくお願い致します。
失礼致します。
●signifie(2018年8月23日 00:17)
チューリップさん、そうですね。
創価が意図的に会員にするのはマインドコントロールだと思います。洗脳だと証拠が残って刑事告訴されかねませんからね。しかし会員の創価脳が自分の子供に無意識にするのは洗脳だと思います。創価脳の親は無意識に子供を虐待していると思います。私も勤行しなければご飯を食べさせてもらえないとかありましたし、夜にいつも親がいないというのも子供にとっては虐待だと思います。いわゆるネグレクトですね。あの時の喪失感は今でも自分の心の傷として残っています。父親が創価でしかも議員だったこともあり、学校でいじめにあったこともあります。二世三世の方は多いのではないでしょうか。クラスの子に囲まれて「南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経」って大合唱されて馬鹿にされました。親には学校でそんなことされたなんて言えません。全部自分の心の中に仕舞っていました。創価脳の親だと、自分が創価であることで子供がいじめられるなんて思いもしないでしょう。創価脳は加害者意識も被害者意識もありません。自分は絶対に正しい信仰をしているから、絶対に間違いなどない。これだけで幸せなのだ。子供も正しく成長するはずだ。と疑うことを知りません。仮に子供が親に相談しても「題目をあげなさい。いじめにあうのはお前の宿業がでたんだ。これは宿命転換のために御本尊様が与えてくださった試練なんだ。乗り越え切れるからこそ与えてくださった試練なんだ」と創価脳の親は子供を突き放すことしかできないと思います。子供の心に寄り添うことなどできないと思います。だから現実に私の子供の頃の学会員の子供は半分くらいは学校で問題児でした。
鯛焼きさんとの対話の中で、「友人が悩みを相談にきたらどうしますか?」と私に質問された時に、私は「とことんそばにいてあげます。その友人が話を聞いて欲しければいつまでも話を聞いてあげます」と答えたら「相手が幼い子供でもそれをするんですか?60過ぎのおっさんが幼い女の子に寄り添うんですか?海外の人にも行ってずっと付き合ってあげるんですか?」って反論してきました。その時に私は「この人とは対話はできない」と判断したんです。皆さんもそう思ったと思います。「悩みを聞いて欲しくてやってきた友人がいたら?」という設定で質問をしてきたののに、それに対して私は自分の経験も踏まえて真摯に答えたんです。そしたら「幼いおなんなの子にも、海外にいる人にもすっとそばにいてあげるんですね。あらまあ」みたいなことしか言わない。悩みのある人に対して、私が答えたそばにいてあげることや、話を聞いてあげることに関しては「友人だったそれでもいいでしょう」の一言で済ませました。だから私は自分が創価が詐欺だと気づいたショックでかなり思い鬱状態が続いて自死まで実行しようとした時に、二人の友人が夜中の森の中まで探しにきてくれて、二人とも仕事をほっぽり出して、まるまる1日半、何も言わずに一緒にご飯を食べたり、酒おを飲んだりしてくれた。その経験が「人の心に寄り添う」ことの大切さ、ありがたさ、かけがえのない人間同士のつながりを、これが最後と思って、相当な覚悟で書いたんです。しかしそれも完全にスルーされました。だから私はスレッドごと削除したんです。鯛焼きさんは私がなぜスレッドごと削除したのか理解できなかったでしょう。私が討論に負けて悔し紛れに削除したとでも思っているかもしれません。とことん人の気持ちのわからない人だなと、本当にあきれ返りました。案の定、何の断りもなくスレッドごと削除するなんて卑怯だ、ルール違反だなどと責め立てました。私はめんどくさくなって再びスレッドを表示しました。これがあの時の経緯です。
「ああ、創価脳ってやっぱりこうなんだ」とあらためて痛感しましたよ。おそらく鯛焼きさんは脱会者が何か悩みを相談された時に、脱会者である私には、はっきりと解決できるような心の支えのようなものを答えることができないだろうという思惑での質問だったと思います。自分は仏法という何が起こっても揺るぎない信じるものがある。何があっても解決できるすごい信仰があることを友人にいうことができるという話にしたかったのだろうと思います。最初から見え透いた質問でした。私もかつては創価脳だったので、創価脳の思考回路が画一的で、上から言われたことでしかないので簡単にわかります。それは私だからというのではなく、創価経験者であれば簡単にわかることです。創価脳を目の当たりにするたびに、かつて自分もこうだったのかと思い知らされて凹みます。本当にマインドコントロールとは恐ろしいものだと思いますね。
【解説】
ダイナムさんが学生のころの話をしています。
教師との関係が密なので学生といっても大学ではなく、高校か盲学校の話でしょう。
でも、「学生部の戦い」と言っているから、大学なのかな??
チューリップさんの問いかけに答えて、シニフィエさんが過去のトラウマを披露しています。また、鯛焼きさんとの対話を打ち切りスレッドごと削除したときの心理を明かしています。シニフィエさんの気持ちも分からないではないですが、一時の感情で対話を打ち切り、スレッドごと削除という乱暴な対応をしたことはまずかったですね。
鯛焼きさんの質問の仕方もよくなかったかもしれませんが、そこは粘り強く、信仰の核心に迫るような、深い対話につなげていけたらよかったのにと思います。
獅子風蓮