「週刊新潮」(2022年11月24日号)で、創価出身の芸人、長井秀和さんのインタビュー記事が載っていました。
長井さんは、創価小学校、創価中学校、創価高校、創価大学と一貫して創価学園に学んだ経歴を持ちながら、お笑い芸人として活躍し、その後脱会に至った人です。
長井さんの体験は、私たちアンチの非活・脱会者にも共感するところもありますが、その主張にはやや違和感を感じるところがあります。
違和感の生じるのは、なぜなのか。
「週刊新潮」の記事を引用しながら、考えてみたいと思います。
以下は、週刊新潮 (2022年11月24日号)からの引用です。
仏壇に2000万円?
私が創価小に転校した1970年代、池田氏は日蓮正宗で固く禁じられていた本尊のコピーを作るという本尊模刻事件や、宿敵・共産党と手を組もうとした創共協定事件を起こし学会本部に居づらくなっていた。そんな中、彼が頻繁に出入りしていたのが、自分が創った創価学園だったのです。学園なら理屈抜きで“偉大な創立者”扱いをしてもらえますから。
だから私は小・中学生の頃だけで通算60回くらいは池田氏と会った記憶があるんです。当時は、しょっちゅうアイスクリームとかお小遣いをくれるオッチャンくらいの印象でした。今や“現れない人神”となってしまった池田氏ですが、昔はもっと気さくに姿を現していたんです。
ところが、大きくなり聖教新聞などで池田氏の言葉を読むと、どうも違和感を覚えてしまう。生身の池田氏からは、彼が書いたとされる提言や論文に見合う知性を感じなかったんですね。また、彼が執筆した小説 『人間革命』を読んでも“そんなわけないでしょ”と思いはじめ、池田氏の作られすぎたカリスマ性を異様だと感じるようになったのです。
それでも45%は残っていた信仰心が0%になってしまったのは、忘れもしない2007年夏のこと。参院選の応援のために埼玉県を訪れていたときに、車に同乗していたさる最高幹部が 終始、池田氏の悪口を言っていたんです。もう、言うことがコロコロ変わるだの無茶を押し付けられるだのと言いたい放題。
それをきっかけに、自分で学会のこと、池田氏のことを調べてみようと、創価学会について書かれた様々な書籍を読んでみた。すると、出るわ出るわ、デタラメのオンパレード。それまで純粋培養されてきた私は、外の世界から見た学会がいかに嘘にまみれているかを知ってしまったのです。
学会で献金を表す「財務」もそうです。今年もその季節となりましたが、毎年1月下旬から全国一斉に振込みが行われ、集まる金額は1000億円以上とも。 ただ、かつて池田氏は他の新興宗教と違って寄付や献金はやらない。と明言していたはずなんです。それが、1972年に大石寺に正本堂を建立するための寄付を募ったことをきっかけ に、毎年の恒例行事となってしまった。正本堂建立の際は、数日で300億円以上が集まったといいますから、献金の旨味に味をしめてしまったのでしょう。
学会側が明言することはありませんが、財務の額はおおむね収入の1割が目安と言われています。10日で1割の高利貸し“十一(トイチ)”に因んで、私は学会の財務を “宗教十一”と呼んでいますが、収入が低ければ低いほど、当然、負担は大きくなる。うちの両親でもすでに総額で数千万円の寄付をしていると思いますよ。それだけでなく、例えば高額な学会専用の仏壇を3基も 購入していて、仏壇関連だけで約2000万円。統一教会の“100万円の壺”なんて安すぎて、多くの学会員はピンと来ないんじゃないでしょうか。
霊峰・富士は近くで見ればゴミだらけと言いますが、池田氏の悪口を言っていた幹部も同じ気持ちだったのかもしれません。間近で見続けた池田氏の姿を、嘘で糊塗し続けることに疲れていたのでしょうね。
統一教会の被害者救済を巡り、現在、国会では高額献金を規制する新法の是非が議論されているが、これに対する公明党の歯切れの悪さも長井氏の話を聞けば頷ける。あからさまな欺罔(ぎもう)行為は無いとはいえ、献金や物販の規模は、統一教会のそれとは、まさに桁違いなのである。
しかし一方で、学会には未だ池田氏を崇敬する信徒が数百万人いるのも事実。一体、彼らが学会や池田氏に引き付けられる理由はどこにあるのか。
学会という組織はどこか大学の総合学科のような雰囲気があるんです。理知的でお勉強家タイプの人間には教義の研究機関や学術系の出版社が用意されていますし、実利主義的な人間にはいっぱい儲けて、そのお金を広宣流布のために使えばいい、と組織に貢献する道がある。つまりどんな会員にも宗教的な役割を与えられる受け皿の広さがあった。この裾野の広さこそ学会の最大の強みでしょう。
【解説】
私が創価小に転校した1970年代、池田氏は日蓮正宗で固く禁じられていた本尊のコピーを作るという本尊模刻事件や、宿敵・共産党と手を組もうとした創共協定事件を起こし学会本部に居づらくなっていた。そんな中、彼が頻繁に出入りしていたのが、自分が創った創価学園だったのです。学園なら理屈抜きで“偉大な創立者”扱いをしてもらえますから。
私は昭和51年(1976年)に創価高校を卒業しています。
創共協定が調印されたのが昭和49年(1974年)、発表されたのがその翌年です。
またいわゆる52年路線で創価学会は宗門からの独立を目指していたわけですが、それが失敗し、『聖教新聞』に本尊模刻の事実を認める記事が掲載されたのが昭和53年(1978年)です。
池田氏が「学会本部に居づらく」なって創価学園に入り浸ったというのは初耳ですが、私の在学中はそのようなことはなかったので、創共協定が発表されたあと公明党の幹部などによって骨抜きにされた昭和50年のころに池田氏が「学会本部に居づらく」なって創価学園に入り浸ったということはないでしょう。
長井さんの認識が正しいとしても、池田氏が「学会本部に居づらく」なって創価学園に入り浸ったというのは、いわゆる52年路線が頓挫した昭和53年以降ということになります。
私はそのころにはすでに学園にいなかったので、創立者がたびたび学園を訪れたという経験はありません。
長井さんの文章によって、当時の池田氏の胸中を想像することができます。
貴重な情報、ありがとうございます。
私の場合、数少ない機会ですが、池田氏にお会いし、池田氏が学園生を可愛がってくださっていたことは実感として知っています。
それでも45%は残っていた信仰心が0%になってしまったのは、忘れもしない2007年夏のこと。参院選の応援のために埼玉県を訪れていたときに、車に同乗していたさる最高幹部が 終始、池田氏の悪口を言っていたんです。もう、言うことがコロコロ変わるだの無茶を押し付けられるだのと言いたい放題。
この最高幹部はきっと池田氏の前にでると従順を装って何も意見など言わなかったのでしょうね。自分は、幹部として大きな恩恵を受けていて、陰で、青年に池田氏の悪口をいう。なんという不誠実な人間でしょう。
財務の額はおおむね収入の1割が目安と言われています。10日で 1割の高利貸し“十一(トイチ)”に因んで、私は学会の財務を “宗教十一”と呼んでいますが、収入が低ければ低いほど、当然、負担は大きくなる。
これは初耳です。
キリスト教会で、「献金の額ははおおむね収入の1割が目安」というのは聞いたことがありますが、創価学会で本当にそんなことを言っていたのですか。
あくまで建前上は1口1万円の財務で、実際には3ケタとか煽られてはいたのでしょうが、統一教会の献金額のすさまじさには及ばないと思っています。
うちの両親でもすでに総額で数千万円の寄付をしていると思いますよ。それだけでなく、例えば高額な学会専用の仏壇を3基も 購入していて、仏壇関連だけで約2000万円。統一教会の“100万円の壺”なんて安すぎて、多くの学会員はピンと来ないんじゃないでしょうか。
ここは、多くの学会員が違和感を感じる部分ではないでしょうか。
「多くの学会員はピンと来ない」のではなく、統一教会の数億円という献金額に、多くの学会員は、驚いたのではないでしょうか。
統一教会の場合は子どもの学費を削ってでも献金を求められますが、創価学会の場合は、子どもはできれば大学に進学するように指導されます。
財務のために子どもが進学を断念したというケースは少ないのではないでしょうか。
少なくとも、私の家は一時生活保護を受けるほど貧乏でしたが、一念発起して生活保護を返上し、母親が働き、兄と私の創価高校の授業料を払ってくれました。
母親は、子どもに大学進学を望んでいました。
それは、池田氏の指導によるものでした。
統一教会の献金のひどさがニュースで流れた時、妻が私に「(統一教会でなく)創価学会で良かったね」といったものです。
子どもの進学を諦めさせない、という点で、創価学会は統一教会とははっきり違っていたと思います。
(つづく)
獅子風蓮