★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

神様北の湖逝去

2015-11-20 23:18:43 | ニュース


「猫騙しはいかん」と史上最強横綱白鵬に苦言を呈し、昔風の?相撲道を背負っていた北の湖が突然亡くなってしまった。北の湖全盛期がちょうどわたくしが相撲を見ていた頃である。輪湖時代はまさに、スポーツマン体型の輪島がお餅牛みたいな北の湖のお腹に乗っかって土俵下まで走り去られるという――(あれ?相手は千代の富士だったか?)、力士が神であった頃の残り香が感じられる最終局面であった。……ということにしておきたい。

スキャンダルまみれの相撲界は気の毒だ。相撲界にあったことは、清濁含めて我々の社会を作ってきたあれこれだ。それを、日本人の魂を失ったナショナリストたちがあれこれ詮索してまわり滅茶苦茶にしてしまった。対して横綱の品格なんぞ最近の産物であり、我々の社会はそんなもので保たれてきたのではない。力士は神であり、我々とはちがうのである。いまや、モンゴルからきた神でいいじゃないか。昨今のドタバタは、昭和の初期のナショナリズムに乗って国技となった相撲の悪いところが流れでただけであって(だいたい相撲がもともと神事であるかどうか分からんぜ。朝青龍みたいなのが来て、それがばれたと言うべし)、とそんなわけはないのだが、そういうことにしておこう。

御嶽海は、木曽から出た神様でいいよ。御嶽の名前を冠した時点でもう人間ではない。

稀勢の里が北の湖に似ている。顔が。がんばれ稀勢の里の顔。

世の中の非難に抵抗して伝統の復活に気をとられると、蓄積されてきた肝心の知恵と悪行についての記憶まで失うというのが案外、我々のパターンであろう。伝統文化について心配なのはそこである。我々の感覚は伝統について本能的に鈍感である。まるで円環の中にあるような気分を伝統と錯覚する。――たぶん、確かに同じようなことを反復しているが、決定的なものを忘却し続けているから反復し続けるのである。


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