★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

黄金虫と涕泣的超克

2024-08-01 23:22:39 | 文学


それを眺めたときの心持を私は書きしるそうとはしまい。驚きが主だったことは言うまでもない。ルグランは興奮のあまりへとへとになっているようで、ほとんど口もきかなかった。ジュピターの顔はちょっとのあいだ黒人の顔としてはこれ以上にはなれないほど、死人のように蒼白くなった。彼はあっけにとられて――胆をつぶしているらしかった。やがて彼は穴のなかに膝をついて、袖をまくり上げた両腕を肘のところまで黄金のなかに埋め、ちょうど湯に入って好い気持になってでもいるように、腕をそのままにしていた。とうとう、深い溜息をつきながら、独言のように叫んだ。
「で、こりゃあみんなあの黄金虫からなんだ! あのきれいな黄金虫! わっしがあんなに乱暴に悪口言った、かわいそうなちっちぇえ黄金虫からなんだ! お前は恥ずかしくねえか? 黒んぼ、――返事してみろ!」


――ポオ「黄金虫」(佐々木直次郎訳)


このまえ六十年代の「サンダーバード」劇場版をはじめてみたんだが、これはすごい。人間がやってるはずの「ウルトラマン」のなんとか警備隊のほうが人形らしく見える。物質側から人間を捉えきるという方向性が徹底しているので、国際救助隊のメカの動きと人間の動きが同質性によってつながっている。対して、「ウルトラマン」は、描きたいのは人間の方であって、だから人間に似ている怪獣に思いいれが伴っている。「サンダーバード」の火星怪獣は岩に眼をくっつけた不自然さが最後まで違和感を残す。無口の「黄金虫」を目にする如きだ。

「ウルトラマン」の怪獣はよく鳴(泣)いている。

昭和十五年、武者小路の「愛と死」のあとがきに、「友情」は大して褒められなかった作品だったはずだがしらないうちに読まれるようになってることを知って、「愛と死」を書く気になった、みたいなことが書いてあった。すでに研究があるんだろうが、武者小路が人気が出たのはいつなのか考えたことなかった。――それはともかく、この「愛と死」、主人公が婚約者に死なれてめちゃくちゃに泣くのだが、これはほんと柳田國男じゃないが、もう近代的我慢をやめて積極的に涕泣してこうという戦時下の「超克」の試みであろうか。