★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

時間よ止まれ

2024-08-17 23:03:54 | 文学


「いや、前代未聞どころか、この世初まって以来の大御通行だ。」
 聞いているものは皆笑った。
 いつのまにか吉左衛門は高いびきだ。彼はその部屋の片すみに横になって、まるで死んだようになってしまった。
 その時になって見ると、美濃路から木曾へかけてのお継ぎ所でほとんど満足なところはなかった。会所という会所は、あるいは損じ、あるいは破れた。これは道中奉行所の役人も、尾州方の役人も、ひとしく目撃したところである。中津川、三留野の両宿にたくさんな死傷者もできた。街道には、途中で行き倒れになった人足の死体も多く発見された。
 御通行後の二日目は、和宮様の御一行も福島、藪原を過ぎ、鳥居峠を越え、奈良井宿お小休み、贄川宿御昼食の日取りである。半蔵と伊之助の二人は連れだって、その日三留野お継ぎ所の方から馬籠へ引き取って来た。伊之助は伊那助郷の担当役、半蔵も父の名代として、いろいろとあと始末をして来た。ちょうど吉左衛門は上の伏見屋に老友金兵衛を訪ねに行っていて、二人茶漬けを食いながら、話し込んでいるところだった。そこへ半蔵と伊之助とが帰って来た。
 その時だ。伊之助は声を潜めながら、木曾の下四宿から京都方の役人への祝儀として、先方の求めにより二百二十両の金を差し出したことを語った。祝儀金とは名ばかり、これはいかにも無念千万のことであると言って、お継ぎ所に来ていた福島方の役人衆までが口唇をかんだことを語った。伊那助郷の交渉をはじめ、越後、越中の人足の世話から、御一行を迎えるまでの各宿の人々の心労と尽力とを見る目があったら、いかに強欲な京都方の役人でもこんな暗い手は出せなかったはずであると語った。
「御通行のどさくさに紛れて、祝儀金を巻き揚げて行くとは――実に、言語に絶したやり方だ。」


和宮降嫁の行列で、木曽では人足の死者がかなりでたみたいなことはあまり埋もれさせてはいけないことだ。(そういえば、この時には、たしか『木曽福島町史』に載ってたけど、街道筋の見苦しい家屋は改修せよという命令が下っててこれだけでも想像を絶することだ。冗談じゃないぞ。)一方、近代の鉄道と車は交通そのものの意味を変えた。エライ人が通るだけで死人が出ることは少なくなったのかも知れない。そのかわりに、通る人そのものが死ぬ場合があるのだが。。――いやそうでもない。たしか、木曽福島の大火なんかは、蒸気機関車の火花が藁葺き屋根か何かに移ったのではないかという説があるのだ。

変わったのは、よく言われているように風景の見え方のほうである。その風景なんかを和宮とは逆に京都に向かって優雅に車窓の「うごく」風景として描いたのが戦時下の堀辰雄である。世代は違うが、藤村だって汽車や蒸気船の世代であって、それとは違う半蔵達の見え方をなんとか定着させようという野心はすごい。当時の左翼運動やナショナリズムの奧に、噂と足と伝統と勉強した知識で動く風景を観ようというのだ。

いまや、シュルレアリスムなどを経て、「ジョジョの奇妙な冒険」などが、近代の遠近法を混乱させ、止まった風景を復活させている。さっき気付いたんだが、老眼で至近距離で読むと内容がより理解出来るのだ。

思うに、この動く風景が動かないものへと移行しつつあるのが現代ではないだろうか。それはストレスフルな活動である。風景のかわりに心理の動きを饒舌に扱う、つまり風景を心理が追い抜こうとする運動は、昭和の饒舌体よりも現代のほうがあからさまである。昭和の高見順なんかは自ら汽車になろうとするおしゃれ心がありすぎて、疲れて止まってしまった。しかし、現代の作者は、無駄口を叩くという疲れない方法を編み出した。

例えば、「青春デンデケデケデケ」なんかがそうである。この本は、たしか90年頃の作品であるが、――大学だか予備校だかの時にたぶんおれよりも実力がなさそうな先生が推薦していたので読んでおらず、最近「私家版」という長いバージョンを少し読んだのだが、たぶんこれ根本的に自分が頭がよいと思っているバカ高校生の物語だなと自分を観るようで三頁ぐらいで挫折した。高校時代に読んだ三田誠広の「僕って何」とかも、僕って何とか知らねえよこのマザコンがとしか思えなかった、が、しかし、「青春デンデケでケデケ」にしても、読者をかように錯乱させる恥ずかしさを書けるということはものすごいことだ。私が為政者だったら真っ先に焚書・殲滅する。――このように感想すらなってしまうのは、基本的に彼らの文章が無駄口であって、無駄口に対しては無駄口で返すほかはないからだ。言文一致とは、あるいみ、このような対話のことなのである。

現代では、止まることが要請されている。近代でも文学の「病という意味」はそういうものだったのかもしれない。わたくしなんかが文學にこだわっているのも、その「動かない性質」の為であろう。子供の頃からアトピー性皮膚炎のひとがどこが他の人とチガウカと言えば、いろいろあるが、自分のことをかんがえてみて、自分の血の臭いを何となく纏っているという事なんじゃないかと思うのだ。常に出血している感じなので。このようなことを描くことは、動きではなく停止である。

中井紀夫の「深い穴」という作品は、湾岸戦争以降の現代に第二次大戦の復員兵が帰ってくるおかしなはなしだが、最後に、現代の若者である私と、復員兵は、目的は分からないが、スコップを持って車でどこかに繰り出す。深い穴をほらなくちゃいけないんだと思う、みたいに私はいている。風景とともに時間が流れてしまう現代は、時間の先後関係もなにもかもが混乱する。穴を掘って止まらなきゃ、と言うわけではなかろうか。しかし、そうやって頑張った安部公房とかが止まれたかどうかはわからない。