物語のことを、昼は日ぐらし思ひつづけ、夜も目の覚めたるかぎりはこれをのみ心にかけたるに、夢に見ゆるやう、「このごろ、皇太后宮の一品の宮の御料に、六角堂に遣水をなむつくる」と言ふ人あるを、「そはいかに」と問えば、「天照御神を念じませ」と言ふと見て、人にも語らず、なにとも思はでやみぬる、いと言ふかいなし。春ごとに、この一品の宮をながめやりつつ、
咲くと待ち散りぬと嘆く春はただわが宿がほに花を見るかな
わたくしもアマテラスが夢の中に出てきたことがある。孝標の娘の場合は「アマテラスを念じなさい」と言われただけなので、わたくしの方が遙かに病状は進んでいたと言えよう。いや、はたしてそうか。いまでも農家に行くと、「天照大神」とか「天照大明神」の大きいおふだなどが床の間にあったりする。当時もいまも見えることよりも「念じる」ことのほうが遙かに難しいのである。
上の歌を見ても、かなり視覚的な歌である。物語を読みすぎると、すべていろいろなものが表象としてあらわれる気がする。大学院生によくある症状である。
それで、われわれはこゝによく考へて見ねばならぬことは、日本の神々は、実は神社において、あんなに尊信を続けられて来たといふ風な形には見えてゐますけれども、神その方としての本当の情熱をもつての信仰を受けてをられたかといふことを、よく考へて見る必要があるのです。千年以来、神社教信仰の下火の時代が続いてゐたのです。例をとつて言へば、ぎりしや・ろうまにおける「神々の死」といつた年代が、千年以上続いてゐたと思はねばならぬのです。仏教の信仰のために、日本の神は、その擁護神として存在したこと、欧洲の古代神の「聖何某」といふやうな名で習合存続したやうなものであります。われわれは、日本の神々を、宗教の上に復活させて、千年以来の神の軛から解放してさし上げなければならぬのです。
――折口信夫「神道の新しい方向」
折口は、戦後になって、神道を宗教としてきちんと復活させるべきと言っていた。そのために、八百万の神など「卑怯な考え」にすぎないと切って捨てている。折口の危惧を何のその、戦後世界は戦前以上に見える神々が増殖し、とどまるところを知らない。わたくしは、折口の神道觀には見るべき所があると思う。しかし、その場合、いまのお寺みたいな社を捨てた方がいいと思うのだ。石と樹だけでいいよ。
今日、瑞穂市の大湫神明神社の大杉が倒壊したニュースがあって、上空からの写真をみたら、神社・境内よりはるかに大きい大木が周りの家の方に倒れていてすごかった。この風景こそが我々のふるさとである。