もろこしが原といふ所も、砂子のいみじう白きを二三日行く。「夏はやまと撫子の、濃くうすく錦をひけるやうになむ咲きたる。これは秋の末なれば見えぬ」といふに、なほ所々はうちこぼれつつ、あはれげに咲きわたれり。
「もろこしが原に、やまと撫子しも咲きけむこそ」など、人々をかしがる。
今日は、香港で国家安全法が施行されて逮捕者が出た。わたくしなんか、これが香川で国家安全法が施行されたと見えたのだから、上の「ものこしが原にやまと撫子」よりもレベルが低い。収録+編集続きでつかれてきたのは確かである。合計時間は一学期全体で言うとたぶん一〇〇時間ぐらいになりそうだ。私大はもっとすごいことになっているに違いない。ここに校正とか論文締め切りその他校務とかがずかずかと入ってくる。
そういいますが、まだ夜の街は水兵で賑わい、まるで映画もどきのセーラーの喧嘩の華がところどころに演じられ、港サセボはなかなか華やかである。BARからキャバレーから夜の女の群へとさまよい歩いて見たのです。日本人専門のハーバーライトは、とてもこみ合って、港で儲けた旦那衆が美人を擁して踊りくるっていた。外人専門の米軍許可を得ている美妓のいる堀ハウスにもいって見たのである。愛らしい純大和撫子が蝶々さんのような和服を着かざったり、上海ドレスにきめの細かい雪の肌を包んで、若いアメリカ水兵さんのピンカートンぶりを愛していた。SASEBOKINもどこへやら、ここばかりは明るい光が窓に輝いている。なんとはなしに、かわいそうなお人形のようで、涙の人生のような気がしてならなかった。明るい夜の街、SASEBOも華やかに火花と輝いていますが、うごめいている人達は、なにか宿命のようなすてばちで、ただ暗い夜空をながめているようでならない。SASEBOは、朝鮮戦線の上り下りがまるで脈搏のようにはっきりひびいてくるのはなんとなく心細い様子である。新しく生きろよ、佐世保の港。歴史にのこる良港よ、もっと遠大な理想に生きてもらいたい。
――小野佐世男「エキゾチックな港街」
我々の宿痾のようなものであろうが、記号の歴史性が歴史によって上書きされていってしまい、結局、無神経にも言葉遊びが繁茂する。あせって言葉にアイデンティティを見出そうとすると、あまりにその内容がないような気がするので、「愛らしい」とか「純」とかを付けて意味ありげにしてみる。文学は歴史的な文脈を掘り起こすとのできるやり方なのだが、平安時代の作品たちからはその痕跡があまりに目立たない。本当は、光源氏や業平があまりにも光り輝いているのは、上の「愛らしい」「純」と似たところがあるはずである。
ウィキペディアに書いてあったのだが、上の小野氏は、あまりに光り輝くものは苦手だったのか、マリリン・モンローが来日したときに死んだらしい。