富士川といふは、富士の山より落ちたる水なり。その国の人の出でて語るやう、「一年ごろ、ものにまかりたりしに、いと暑かりしかば、この水のつらに休みつつ見れば、川上の方より黄なる物流れ来て、物につきてとどまりたるを見れば、反故なり。とり上げて見れば、黄なる紙に、丹して濃くうするはしく書かれたり。あやしくて見れば、来年なるべき国どもを、除目のごと、みな書きて、この国来年あくべきにも、守なして、また添へて二人をなしたり。あやし、あさましと思ひて、とり上げて、ほして、をさめたりしを、かへる年の司召に、この文に書かれたりし、ひとつ違はず、この国の守とありしままなるを、三月のうちに亡くなりて、またなりかはりたるも、このかたはらに書きつけられたりし人なり。かかることなむありし。来年の司召などは、今年この山に、そこばくの神々あつまりて、ないたまふなりけりと見たまへし。めづらかなることにさぶらふ」と語る。
むかしから、われわれは「デスノート」みたいな話が好きなんだな、と思わせるエピソードである。富士川で黄色い紙に、主筆でなにやら書いてある。それは国守になる人々の名簿であった。死ぬ人とその後釜まで書いてあったのである。地元の語り手曰く、「富士山に神々が集まって決めたんだな、と分かったのです」と。
言うまでもなく、違います。
だいたい、この地元おじさん?、富士川は富士山から流れてるんじゃないぞ、長野と山梨の境にある鋸山ですぞ……。というわけで、富士の神々説は否定される。ということで、山梨か静岡のどこかでこの紙を落としたやつがいる。そして、この落としたやつが、当時の人事を知っている人間であり、急死した国守はまずもって暗殺とみなければならない。そうしなければ、予言は当たらない。
こんなことも予想出来ぬ富士の高嶺に雪は降りつつを愛でながらあたまがぼやっとしてしまったおじさんにつかまった孝標の娘さんは不幸である。もしかしたら、おじさんは紙を神と掛けているだけなのかも知れん……
山国の出身なので、山には思い入れがある方だと思うが、富士山のような形にサブライムを感じている輩は心の凹凸にかけていると言わざるを得ぬ。神を感じるのは。飛騨山脈、御嶽山、まだ見たことはないが、月山。ちなみに、小学校三年生か四年のときに、新潟行きの電車に乗ってはじめて、冬の北陸五岳をみたときもなかなか感動したもんだ。
富士があって、その下に白く湖、なにが天下第一だ、と言いたくなる。巧すぎた落ちがある。完成され切ったいやらしさ。そう感ずるのも、これも、私の若さのせいであろうか。所謂「天下第一」の風景にはつねに驚きが伴わなければならぬ。私は、その意味で、華厳の滝を推す。「華厳」とは、よくつけた、と思った。いたずらに、烈しさ、強さを求めているのでは、無い。私は、東北の生れであるが、咫尺を弁ぜぬ吹雪の荒野を、まさか絶景とは言わぬ。人間に無関心な自然の精神、自然の宗教、そのようなものが、美しい風景にもやはり絶対に必要である、と思っているだけである。
――太宰治「富士に就いて」
「道化の華」以来、風景の問題に関しては一言ある太宰であるが、同じ事を女に対しても言えたのかどうか。いや、言えたのかも知れない。わたくしは、山と女を截然と区別出来ないのが我々であり、それゆえ、山も初めから人間として扱っておく必要がある気がするのである。