また聞けば、侍従の大納言の御むすめ、亡くなり給ひぬなり。殿の中将の思し嘆くなるさま、わがものの悲しき折なれば、いみじくあはれなりと聞く。上り着きたりしとき、「これ手本にせよ。」とて、この姫君の御手を取らせたりしを、「さ夜ふけて寝覚めざりせば。」など書きて、
「鳥辺山谷に煙の燃え立たばはかなく見えしわれと知らなむ」
と、言ひ知らずをかしげに、めでたく書き給へるを見て、いとど涙を添へまさる。
わたくしも、予備校の頃であったか、安部公房の「鞄」を読んで、いやな感じがしたのである。鳥辺山~という感じがしたのである。安部公房が死んだのは、それから一年後くらいであった。その頃は、ジョンケージや中上健次までなくなり、戦後派もほとんどいなくなり、淋しい感じであった。わたくしの高校までは、まだ近代文学者たちが一緒に生きている感じがした。読者である私は、一緒に文学をやっている気になっていたのである。
わたくしは、二〇〇五年かあたりに丹羽文雄が亡くなったのを聞いてびっくりしたのを覚えている。丹羽の作品はあまり読んでなかったので却ってびっくりしたのである。
つまり、読まれていない作家は読者のアイデンティティを奪うことはない。
孝標の娘が経験しているのは、作者の死ではなく、自分の一部の死である。文学を読んでいる人にしか分からない感覚である。
叱られても彼女は動かなかった。不仕合せな女に生まれながら、自分はお前というものに取りすがって、今日までこうして生きていたのである。そのお前にいよいよ別れる日が近づいて、自分の心はとうから死んだも同様であった。日本じゅうに二人とない、頼もしい人に引き分かれて、これから先の長い勤め奉公をとても辛抱の出来るものではない。店出しの宵からお前の揚げ詰めで、ほかの客を迎えたことのないわたしは、どこまでもお前ひとりを夫として、清い女の一生を送りたいと思っている。それを察して一緒に殺してくれと、彼女は男の膝の前に身を投げ出して泣いた。
――岡本綺堂「鳥辺山心中」
岡本綺堂は、昔よく読んだが、いま眺めてみると、これでもかみたいな分かりやすい文が多い気がする。わかりやすさがなぜ一面よくないかというと、自分の心のわからなさを忘却させるからである。孝標の娘なんか、自分のことは殆ど分かってない。そういう感性は、物語のせいなのである。