★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

人ざま、いとあてに、そびえて、

2019-04-11 23:24:56 | 文学


何心もなくうちとけてゐたりけるを、 かうものおぼえぬに、 いとわりなくて、近かりける曹司の内に入りて、いかで固めけるにか、いと強きを、しひてもおし立ちたまはぬさまなり。 されど、さのみもいかでかあらむ。
人ざま、いとあてに、そびえて、心恥づかしきけはひぞしたる。 かうあながちなりける契りを思すにも、 浅からずあはれなり。


「むつごとを語りあはせむ人もがな憂き世の夢もなかば覚むやと」と思春期男子みたいなことを言うておる源氏に対して、「明けぬ夜にやがて惑へる心にはいづれを夢とわきて語らむ」と高度なところを見せる明石の君であったが、源氏はいまやルサンチマンがたまったブラックホールのような男。上のように、「されど、さのみもいかでかあらむ」とか思って狼藉を働くのであった。何が「人ざま、いとあてに、そびえて、心恥づかしきけはひぞしたる」であるかっ。漱石ならこう言うところだ。

すまじきところへ気兼をして、すべき時には謙遜しない、否大に狼藉を働らく。たちの悪るい毬栗坊主だ。

――「吾輩ハ猫デアル」

ところで、最近、文学作品から、れいわを探すのが趣味である。

「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居ら
る。」「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならな
。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落着いて呟き、ほっと溜息をついた。
しだって、平和を望んでいるのだが。」


華下天満宮を訪ねる(香川の神社70-2)

2019-04-11 00:56:00 | 神社仏閣


雪洞を吹き消して拜殿を下りると、夜はもう曉に近くて、星の影も薄くなつた。拜殿の横から、ぐるりと神殿の後に廻ると、こんもりとした神域の木立は、紫の雲が垂れ下がつたやうで、梟が一聲けたゝましく啼いた。
 横の方の玉垣の側で、何やら白いものがチラと動いたやうなので、道臣は足音を偸んで近づいて行くと、其處の大きな杉の幹へ、蝉のやうにピタリとくツ付いてゐるのは、寢衣姿の京子であつたから、道臣は慄然として棒のやうに突つ立つた。


――上司小剣「天満宮」