★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

思へば悲し

2019-04-12 23:44:37 | 文学


「あやしう、つねにかやうなる筋のたまひつくる心のほどこそ、われながら疎ましけれ。もの憎みは、いつならふべきにか」


源氏が、実は隠し子が生まれましたよ女の子だよ、とか告白した。いまなら、紫の上は、ペットボトルかなんかで光源氏を打擲するところである。しかし、紫の上は、源氏に育成されたので、自分の感情までも人工物だとして知っていた――なわけはない。精一杯の源氏への恨み言なのである。しかし、

「そよ。 誰がならはしにかあらむ。思はずにぞ見えたまふや。人の心より外なる思ひやりごとして、もの怨じなどしたまふよ。思へば悲し」
とて、果て果ては涙ぐみたまふ。


源氏は、誰が教えたんだろうねえ、そんなこと思っちゃって、おれは悲しいよ、などといいながら、涙ぐむ。上野千鶴子先生が東大の入学式で「頑張っても報われない世の中が広がっているのを知らないだろう、お前たちっ」とか言うていたらしが、東大生は案外「それはそうだけど、いままで頑張ってきた、あるいは頑張らなくても東大に入った俺はなんて悲しい」ぐらいに思っているであろうから、しまいにゃ泣いてしまいかねない。上野氏が思うより、なんだか泣けるぜという御仁たちは多いのである。失言を繰り返す大臣だって、案外「泣けるぜ」と思って生きているかもしれない。源氏にいつもの一言

GO TO HELL

年ごろ飽かず恋しと思ひきこえたまひし御心のうちども、折々の御文の通ひなど思し出づるには、「よろづのこと、すさびにこそあれ」と思ひ消たれたまふ。

紫の上の嫉妬を前にして涙で彼女を押さえつけてしまう源氏は、さすがに明石の君との交情を後悔するのであった。

GO TO HELL

紫の上が詠む、

思ふどちなびく方にはあらずともわれぞ煙に先立ちなまし

こんな歌を詠まれたなら、わたくしなら、平蜘蛛のように這いつくばってしまうところだが、源氏は返歌の自動機械なので、

誰れにより世を海山に行きめぐり絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ


とのたまうのであった。最低な野郎である。――しかし、考えてみると、太宰みたいに「僕はいまは、まるで、てんで駄目だけれども、でも、もう五年、いや十年かな、十年くらい経ったら何か一つ兄さんに、うむと首肯させるくらいのものが書けるような気がするんだけど。」(「鉄面皮」)みたいないいわけをする奴よりいいかもしれない。太宰が煉獄で迷っているにのに比べて、迷いなく地獄に行けそうだから。