いとしのレイラ [日本語訳付き] エリック・クラプトン
今度発表された次の元号「令和」であるが、長期政権を続ける安倍政権らしく、なかなかの手強いものであった。安部氏が考えたのではないから、ブレーンがやったのであろうが。明治大正昭和平成というのは、意味を「読み込めない」平板さを持っていたので、まさに記号的であって、出来事によって意味が充填されていった。しかし「令和」は違う。もう既に意味の塊なのだ。いってみりゃ、多義的な意味を――、多くの人がご託を並べられるようになっているのである。たぶん、そこまで計算されているとわたくしは思う。
こういう場合、どういうことが起きるかといえば、多数決や空気、もっといえば政情や為政者によって言葉の意味が変更されてしまうという、まさにファシズムの定義とも言うべき情況があらわれるのである。いわば、話し合いで、クズみたいな意見が正解になりがちになるのと一緒である。
かつて、昭和時代に――アジア主義的理想や、帝国主義、労働者、その他文学作品の意味さえも変更させられてしまったのは周知の事実である。戦争の時なんかは、天皇の意味さえ変わってしまった。もともと仕掛けられていた意味が芽吹くときがある。
というわけで、芽吹くかもしれぬ意味を列挙してゆくことにいたしましょう。
1、「いとしのレイラ」が脳内再生スタート……ロックファン(実は、わたくしも……、国文学者として切腹したい)
2、「和せしめよ」(仲良くさせる)かな?……受験生、あるいは文学部の一年生(普通、「令」は字の起源から言ってもそういうかんじだよね)
2-1、命令するな……社会党
2-2、さっさと命令に従えよ令和生まれは……パワハラのひと
3、一瞬で「あっ万葉集だ」(天平二年正月十三日に、師の老の宅に萃まりて、宴会を申く。時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す)と気づいた人……専門家ですね。マニアかな……。
4、万葉集が出典。しかし「序」は漢文だろと憤る……漢心排斥派
5、大伴旅人と憶良のすばらしい場面だよ……日本浪曼派。
6、元ネタがあったよ(契沖とか文選に)。無学な人は反省しろ……「日本古典文学の起源」派
6-1、日本文学などない。中国文学のパロディがあるだけだ。……文学は織物だ派
6-2、パロディで悪いか……ナルシスト派
6ー3、実は安倍政権などを批判している文脈がかくされていたぞ……ショスタコーヴィチ派
7、太宰府の場面だね……グローバリズム派
7-1、グローバリズムじゃねえよ、中国の属国だろ
7-2、グローバリズムじゃねえよ、日本の相対的独立だ
7-3、東洋の文化的交流の世界だよ(カルスタ派)
8、「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております。万葉集は、1200年余り前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め、「令和」に決定いたしました。文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和の日々に、心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を、国民の皆さまと共に切り開いていく。新元号の決定にあたり、その決意を新たにしております。……安倍晋三
9、レイは……エヴァンゲリオン派
10、違和感しかない……庶民
11、あかるいニュースがあるといいよね次の時代は……庶民
12、響きがいいよね……庶民
13、元号の印刷スタンバイできました……コカコーラその他企業
14、平成と昭和をなんとなく合体させたな……わたくし
15、二日酔い状態で平和というと令和になりそう……わたくし
16、元号はさっさとやめていただきたい……ビジネスマンの潜在的意見
17、元号は日本の伝統だ……世界史未履修?
18、解釈は大衆の沈黙の言葉でいいじゃないか……旧吉本派
……まだまだあるかもしれないが、8が強力なのは、文学作品や言葉に「思いを込める」ことが読むことであり解釈は自由だと思っているマジョリティには案外精密に見えるからである。たぶん巻五の該当箇所をよめばよけいそう思う可能性がある。しかし、安倍氏氏の言っていることはほぼ万葉集の説明としても巻五の序の説明としても間違っている。わたくしの授業のレポートでこんなのが出てきたら、問答無用に書き直し、あるいは落第であるが、世の中は厳しい。安部氏の手法は近代社会でよく行われてきた「政治的美学化」というやつであり、これに社会が抵抗するのがとても難しいのは、戦後の思想家が苦労して論じてきたところだ。これに抵抗すべきなのは、テキストに即した強力な〈読み〉の言葉の組織であり、それが為政者の美学化を許すような多様性の浮遊を相対的に止めることができるはずだ(わたくしは、ベンヤミンの「美学の政治化」の戦略にはやや懐疑的なのだ)。しかし、メディアもそういうことが分かっているから、今回、メディアには萬葉学者のまともな意見は全然でてこなかった。学者もいいたくはないのである。作品について何か言うことの恐ろしさを知っているからである。でも、わたくしのように軽口を叩く人も多いから油断は出来ない。
とりあえずの結論:あさましきもの。[…]人のために、恥づかしう悪しきことを、つつみもなくいひゐたる。
今度発表された次の元号「令和」であるが、長期政権を続ける安倍政権らしく、なかなかの手強いものであった。安部氏が考えたのではないから、ブレーンがやったのであろうが。明治大正昭和平成というのは、意味を「読み込めない」平板さを持っていたので、まさに記号的であって、出来事によって意味が充填されていった。しかし「令和」は違う。もう既に意味の塊なのだ。いってみりゃ、多義的な意味を――、多くの人がご託を並べられるようになっているのである。たぶん、そこまで計算されているとわたくしは思う。
こういう場合、どういうことが起きるかといえば、多数決や空気、もっといえば政情や為政者によって言葉の意味が変更されてしまうという、まさにファシズムの定義とも言うべき情況があらわれるのである。いわば、話し合いで、クズみたいな意見が正解になりがちになるのと一緒である。
かつて、昭和時代に――アジア主義的理想や、帝国主義、労働者、その他文学作品の意味さえも変更させられてしまったのは周知の事実である。戦争の時なんかは、天皇の意味さえ変わってしまった。もともと仕掛けられていた意味が芽吹くときがある。
というわけで、芽吹くかもしれぬ意味を列挙してゆくことにいたしましょう。
1、「いとしのレイラ」が脳内再生スタート……ロックファン(実は、わたくしも……、国文学者として切腹したい)
2、「和せしめよ」(仲良くさせる)かな?……受験生、あるいは文学部の一年生(普通、「令」は字の起源から言ってもそういうかんじだよね)
2-1、命令するな……社会党
2-2、さっさと命令に従えよ令和生まれは……パワハラのひと
3、一瞬で「あっ万葉集だ」(天平二年正月十三日に、師の老の宅に萃まりて、宴会を申く。時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す)と気づいた人……専門家ですね。マニアかな……。
4、万葉集が出典。しかし「序」は漢文だろと憤る……漢心排斥派
5、大伴旅人と憶良のすばらしい場面だよ……日本浪曼派。
6、元ネタがあったよ(契沖とか文選に)。無学な人は反省しろ……「日本古典文学の起源」派
6-1、日本文学などない。中国文学のパロディがあるだけだ。……文学は織物だ派
6-2、パロディで悪いか……ナルシスト派
6ー3、実は安倍政権などを批判している文脈がかくされていたぞ……ショスタコーヴィチ派
7、太宰府の場面だね……グローバリズム派
7-1、グローバリズムじゃねえよ、中国の属国だろ
7-2、グローバリズムじゃねえよ、日本の相対的独立だ
7-3、東洋の文化的交流の世界だよ(カルスタ派)
8、「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております。万葉集は、1200年余り前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め、「令和」に決定いたしました。文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和の日々に、心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を、国民の皆さまと共に切り開いていく。新元号の決定にあたり、その決意を新たにしております。……安倍晋三
9、レイは……エヴァンゲリオン派
10、違和感しかない……庶民
11、あかるいニュースがあるといいよね次の時代は……庶民
12、響きがいいよね……庶民
13、元号の印刷スタンバイできました……コカコーラその他企業
14、平成と昭和をなんとなく合体させたな……わたくし
15、二日酔い状態で平和というと令和になりそう……わたくし
16、元号はさっさとやめていただきたい……ビジネスマンの潜在的意見
17、元号は日本の伝統だ……世界史未履修?
18、解釈は大衆の沈黙の言葉でいいじゃないか……旧吉本派
……まだまだあるかもしれないが、8が強力なのは、文学作品や言葉に「思いを込める」ことが読むことであり解釈は自由だと思っているマジョリティには案外精密に見えるからである。たぶん巻五の該当箇所をよめばよけいそう思う可能性がある。しかし、安倍氏氏の言っていることはほぼ万葉集の説明としても巻五の序の説明としても間違っている。わたくしの授業のレポートでこんなのが出てきたら、問答無用に書き直し、あるいは落第であるが、世の中は厳しい。安部氏の手法は近代社会でよく行われてきた「政治的美学化」というやつであり、これに社会が抵抗するのがとても難しいのは、戦後の思想家が苦労して論じてきたところだ。これに抵抗すべきなのは、テキストに即した強力な〈読み〉の言葉の組織であり、それが為政者の美学化を許すような多様性の浮遊を相対的に止めることができるはずだ(わたくしは、ベンヤミンの「美学の政治化」の戦略にはやや懐疑的なのだ)。しかし、メディアもそういうことが分かっているから、今回、メディアには萬葉学者のまともな意見は全然でてこなかった。学者もいいたくはないのである。作品について何か言うことの恐ろしさを知っているからである。でも、わたくしのように軽口を叩く人も多いから油断は出来ない。
とりあえずの結論:あさましきもの。[…]人のために、恥づかしう悪しきことを、つつみもなくいひゐたる。