★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

左、勝つになりぬ

2019-04-21 23:35:01 | 文学


草の手に仮名の所々に書きまぜて、まほの詳しき日記にはあらず、あはれなる歌なども まじれる、たぐひゆかし。誰もこと事思ほさず、さまざまの御絵の興、これに皆移り果てて、あはれにおもしろし。よろづ皆おしゆづりて、左、勝つになりぬ。


絵合の巻で、源氏が須磨で描いた絵日記が圧勝したところなど、あまりに予定調和過ぎてびっくりするところでもある。伊勢や竹取、宇津保などの闘いを経てからの場面なので、まったくもって文学史的な源氏物語の勝利といへよう。

だいたい須磨如きに流されたといって自慢するなという感じである。明石でざぶんと海に飛び込み、京都と正反対に一生懸命に泳げば、やがて高松あたりに流れ着いたであろうに……。

我々の文化には、左右にモノを並べて勝負させるという物合が色濃く残っているとも言われるが、確かに、相撲は言うまでもなく、朝まで生テレビや日曜討論までもそんな感じである。いま、ラ×■などでも、自分対大勢みたいな物合がある。相撲は肉体がぶつかるからまだ公平であるが、朝までや日曜やラなどは必ずマウンティングが行われ、文化が政治的に機能するようになっている。考えてみれば、源氏の日記も、源氏の須磨流しという、内容は露骨な政治的風景である。

中野重治の「歌のわかれ」も最後はそんな風景であった。

彼は凶暴なものに立ちむかって行きたいと思ひはじめていた


源氏の心の中もそんな感じであったのかもしれないが、彼の周りは人が多すぎ、歌を詠みすぎていた。

そして、人が何かの歌を口吟むと、皆眠た気な声を挙げて一人宛順々に歌つて行くのが癖になつてゐた。歌へぬのは私一人だけである。誰が思ひ出して歌ひ出す歌でも、皆が皆、既に好く知り尽してゐる歌ばかりであるらしい。私は何時も彼等の朗かな合唱の聞き手であるだけだ。

――牧野信一「くもり日つづき」


わたくしは、どららかというと、合唱の聞き手である。