マルポ小学校の跡を探索しての帰りです。学校のすぐ近くに、日本海軍第1航空艦隊のビーコン土台がありました。白爺は、第1回のテニアン空襲の際はマルポの崖に隠れていたので、グラマンがこのビーコン目掛けて猛爆をしている爆音を、身近に聞いていた覚えがあります。最初に車の窓から眺めた土台です。土台は、タガンタガンと草に覆われていました。 しばらく走ると再び3個の土台が現れました。島の人は「米 . . . 本文を読む
大きなブダイを釣り上げたので、再びの大漁を期待してバーブイビーチに来ました。満潮1時間前でしたが、大きな波が打ち寄せていて錘が潮に流され釣りには不向きな状態でした。白爺はそれを察して納竿してしまったのですが、Emiiはもう少しと頑張っています。 とうとう諦めて昼食にしました。弁当は、リノさんの奥さん手作りの「いなり寿司」です。チャムロの方が「いなり寿司」をつくるとは驚きました。浜辺で食 . . . 本文を読む
ペペニグルにある小川砲台に来ました。アメリカの駆逐艦を撃沈させた大砲は、いつもの雄姿で白爺たちを迎えてくれました。 洞窟内の洞窟もそのままの姿で残っていました。右にある洞窟は兵隊さんが掘ったもののようで、四角い形をしています。食糧か何かを保存する場所でしょう。 全体を眺めるとこのように見えました。友達も真剣に眺めていました。砲弾を入れておいたケースや、大砲の方角修正に使用 . . . 本文を読む
マルポに関係のある方が来られので、案内をしながら白爺たちは再びカロリナスの慰霊碑を参詣してきました。その方のお祖父さんはマルポ小学校の先生ですが、このカロリナスのジャングルに隠れて玉砕戦を迎えました。しかし、Emiiと同じように運よく生き延びて帰国が出来たそうです。
慰霊碑の参詣が終わったので、帰る途中カロリナス岬にある展望台に立ち寄りました。
展望台には柵があるが、「柵を信用し . . . 本文を読む
第1航空艦隊の発電所に来ました。外から眺めた景色は、いつ来ても同じでした。窓から覗いて入ることが出来るか点検しましたが、OKなので裏に回り入口から入りました。 電線を通していたと思われるトレンチ跡も残っていました。鉄筋の入った建物は、70年以上の月日が経過しているのに崩れてはいませんでした。 ただ米軍の砲弾で壊された場所だけは、痛々しい姿に変わっています。このような大き . . . 本文を読む
日本海軍第1航空艦隊司令部のある、テニアン航空隊の防空壕です。入口には土蜂の巣があり、蜂が侵入者の警戒をして飛んでいます。白爺たちは、屈んで注意しながら中に入りました。 中に入ると、兵隊さんが並んで座り、空襲に耐えるようになっていました。「座る場所の木材は戦中のものだろうか?」と考えながら、白爺は眺めてきました。 お祖父さんが、「マルポ小学校の先生をしていた」Sさんが同道し . . . 本文を読む
四農場にある「日の出神社」行きました。神社手前の道路わきに「松本連隊の塹壕」があります。誰も気が付かないで通り過ごす戦跡ですが、リノさんが例の勤労奉仕で草を刈り取り、天下に現してくれました。 蜘蛛の巣の張った中を覗くと、結構広い部屋になっていました。米軍は、島の南から攻めてくると思われましたから、攻撃口などは南に向けられていましたが、現実には攻撃口の反対方向から攻撃してきたようです。リ . . . 本文を読む
カロリナスにある「住吉神社」に来ました。標識にはテニアン神社と書かれていますが、この名前は間違いです。鳥居は、昔のままの姿で残っています。 手を清める場所も昔のままです。阿! 吽!と言っている狛犬が「よく来た」と迎えてくれました。玉砕戦で壊された神殿は、戦後神主さんの有志が再建したそうです。 参道の階段に造られている小さな祠の後ろに、兵隊さん一人が入れる塹壕 . . . 本文を読む
テニアン高校です。この高校は何故か馬の絵が壁に多く書かれています。馬のように飛び上がれという意味でしょうか? アメリカの国旗と北マリアナの旗が掲げられていました。島が小さい割に高校は大きいと感じてきました。 後ろに見える丘の左方向には、日本軍の野戦病院がありました。今でも薬瓶などが洞窟の中に残っています。
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豊川稲荷を後にした白爺たちは、豊川ICから東名高速に乗り沼津ICまで一直線で快走しました。
沼津を降りて国道1号線を通り伊豆半島方面に右折すれば、通いなれた道になります。
9時半に伊良湖岬を出発して豊川稲荷で時間をつぶしましたが、3時には畑毛温泉の定宿「大仙家」に到着しました。
昨夜泊まった近代的なホテルと違い、温泉旅館的な大仙家のロビーには . . . 本文を読む