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日本本土空襲に連日B29が飛び立っていた、テニアンのノースフィールド滑走路です。
使用しなくなってから80年近く経過しているのに、今でも2.6キロある4本の滑走路は使用できそうな姿で残っています。
日本軍が玉砕すると、直ちに「米海軍工兵司令部第6海軍設営大隊」の兵士がテニアンに上陸し、日本空襲の爆撃機基地建設を始めたそうです。
設営隊は近代的な機器を操作して、石灰石を削り取り平坦な滑走路を造ったようです。
日本は我々小学生まで動員して、モッコで土を運び飛行場を造っていたのですが、これじゃー敵いませんねー。
ブルトーザーがサトウキビ畑を削って滑走路にしている様子です。
1948年撮った写真だそうですが、テニアン島を半分以上利用した巨大な空軍基地が出来上がっています。
手前側は第313爆撃航空団のノースフィールド基地、その奥は第58爆撃航空団のウエストフィールド基地で、各航空団は各々180機以上のB29爆撃機を持っていたそうです。
全部で6本ある滑走路からは毎分B29が飛び立ち、テニアン上空で編隊を整えてから日本に向かったそうです。
日本海軍第1航空艦隊が建設した「航空管制所」は、修復して鉄塔を立て直し、航空管制を行っていたそうです。
急いで使用したので周りはまだ舗装が終わっていないそうです。
また、この管制塔で「「解放者(B24爆撃機)」と「超空の要塞(B29爆撃機)」の両方を管制したのが特記として残っているようです。
「駐機場からは4本ある2.6�の滑走路に爆撃機が群れをなして誘導されていた」と記録されていました。
また、「全機が離陸出来ることはなく、時には滑走路に墜落して炎上することもあったが、設営隊が直ちに取り除いて離陸できるようにしていた」とも記録されています。
出撃前の作戦会議でもしているのでしょう。
描かれている女性は、どんな気持ちで日本の国を眺めていたのでしょうねー。
当時では考えられない、静かなノースフィールド滑走路です。
でも、最近グアムからオスプレイが飛来して、離着陸の訓練をしているようです。
岩国で訓練すると言われてテレビに放映されたオスプレイのナンバーは08ですねー。
「近々日本の自衛隊も来て、合同訓練が行われるようだ」との話も聞きました。
余談です。
海兵隊の訓練は、輸送艦に食料・水・機材全てを積んできて、上陸後それを消費するのも訓練のひとつ。テニアンで借りてくれるのは便所だけだ。
したがって、テニアン島には金が落ちない。
空軍の訓練では、少し島に金が落ちるのではないかと期待している。
とチャムロの方が話していました。
空軍もオスプレイにいろいろ積んでくるのではないでしょうかねー?
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