石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

ベイビー、中間層がいないぜ

2008-03-28 23:49:33 | 政治
昨夜は、「寝なきゃいけない」と思いつつも、テレビに釘付けで、ついに午前2時過ぎまで見続けてしまった。

 NHK・BS「伝説のロック・全米ベストヒット・スペシャルセレクション」。いやー、ロックを、これぐらい徹底的に集めて、並べて、聴かされ、見せられると、もう、無条件降伏「ゴメンナサイ」である。

 エルビス、ジェリー・イー・ルイス、レイ・チャールズ、ビーチ・ボーイズ、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズ、クリ-ム、CCR、ザ・バンド・・・ローリング・ストーンズ、ビートルズ、マイケル・ジャクソン・・・ボブ・ディラン

 ヒット当時の映像と録音には迫力があった。当たり前だけど、全部「英語」。アジアも、フレンチも、お呼びじゃないわけである。そこにはアメリカ「中間層」という、とてつもない「カルチャー・マーケット」が現存していた。

 なぜ、改めて、そこに感銘を受けたか。オラは昨日、早稲田大学に行って小林英夫教授「1920年代・ワシントン体制」の講義を聴いてきた。お金を払う、公開授業である。

 第1次大戦で「漁夫の利」を得た日本に、国際協調と好景気の気分が流れた。そこで芽生えたのが「都市文化」だった。関西に小林一三が阪急電車を走らせ、関東に五島慶太が東急電車を走らせた。沿線に住宅、百貨店、「都市ソフト」が作られた。

 しかし、それは脆弱な、うたかたのものであった。国家は「シベリア出兵」で有り金を使い果たし、言論弾圧と満州事変になだれ込んで「破綻の隠蔽」を敢行した。国民は従順に従い、都市文化など、泡の一粒で消えていった。

 かたや、20年代のアメリカは、広範な中間層が車を持ち、モータリゼーションの波が、全米にインターステーツの道路網を張りめぐらした。

 オラが昨夜見とれたロック・ミュージックは、そのような桁外れの厚みを持ったアメリカ「中間層」の持続系である。

 いまや、富裕層と貧困層に二極分解を完了したともいう日本。戦後復興→経済大国→バブル・・・の時系列を生きてきたオラは、深夜、ただひとり、全米ベストヒットを見続ける、日本中間層の「敗残兵」なのだろうか。