ツンヅのダラ×2日記だら

社会人8年目に突入した鳥取生まれの埼玉人スポーツマン(??)、ツソヅのブログです。

11歳/30歳

2009-08-09 21:24:44 | Weblog
5年生になるとますます運動に拍車がかかる 朝も昼も夜も、春夏秋冬、動きまくった 昼休みはサッカーやキックベースボール さらに相撲も流行った それぞれが力士の名を乗ってた 若貴ブームはまだ後のこと 俺は大関北天佑 千代の富士、大乃国、北勝海、小錦、寺尾いろいろいた 女の子は冷ややかに見ていたものだ
冬は縄跳び 市販の縄跳びではなく、先生が横浜から仕入れた、その名は”スーパー縄跳び” 取っ手がしっかりしてて縄もしなる 友人と競ううちに二重跳び350回以上の新記録を達成 三重跳びも10回位はした でも三重跳びが30回や四重跳びをする奴もいた 女の子はなぜか後ろハヤブサが得意であった
陸上人生で一番輝いたのはこの年 800m走の学校代表で鳥取の中部大会に出場 県大会には6位までが行ける そこで4位になり、6位の友人哲っちゃんと県大会へ そして奇跡的に県大会で6位となった 2分39秒 なかなか速かった
小学校ではスポーツ少年団は有志だけど、授業の中にクラブ活動があった サッカーやバスケット、将棋… そういや将棋にもみんなハマった 前期と後期で種目が変わっていくけど、ある時、調理クラブに入った やることはひたすら調理 お菓子を作ったりサラダや簡単なおかずを作ったりした 友達とノリで入ったが俺ら以外はみんな女の子でハーレムだった 夏休みの課題の一つに”1日30品目を食べよう”というのがあった 必死に30品目をこなした この年あたりに「牛乳の飲みすぎでコレステロールが高い」と言われたが、食事を気にし始めたかな
小学校の頃は雪が良く降った 日本海岸気候であるので雪は降るのだが 多い年は1m以上積もった 通学路は家のかなり手前から除雪がされてなく、みんな雪の上を這って帰った
こんな年だったけど、おばあちゃんが亡くなった ずっと前から腰を悪くして、ボケになって2、3年前から入院していた 入院する前から足腰が悪かったり、変な行動をしたりしてた 学校から帰ってくるとガラス戸や台所の段で頭からこけては血を流していた その度に血を拭いてあげたが 妹はそんな状況が怖くて、俺の帰るタイミングを待っていたようだ 入院したら、年に1回位は家に帰ってきたけど症状は悪くなって死んじゃった 人の死を始めてみた おばあちゃんには乳母車で野菜畑や芝畑に連れて行ってもらってた 家の畑のトマトは今でも一番旨かった 野菜が好きなのもおばあちゃんの畑のおかげだと思う 葬式の時は家族みんな泣いていた ほんとおばあちゃんっ子だった