
YUホームのボランティアに、狛江教室のTさんも参加。
この日、Tさんが支援したこの方は、ホーム入所前は
お花の先生で、沢山の生徒さんを教えていらっしゃったとか。
道理で凛とした風格。挨拶や言葉つきも丁寧で礼儀ただしい。
時折混乱なさり、ご自分の花材等何度か確認する事は
あるが、お花に関する限り、かなり残存機能は高い。
Tさんに「はい、生けてご覧なさい」と、ちょっと昔のご自分に。
Tさんは老人介護や、障害をお持ちの方の指導はベテラン。
「はい、はい」とにこやかに対応している。
お花に向かわれる姿は真剣そのもの。
私が「この生け方は良いですね。特にこの枝振りが生かされて」
途端に、パッと目が輝き嬉しそうに肯かれる。
好きなこと、得意な事を継続して行く事の意味、老後の
生き方にも関わってくることが、実感として伝わってきた。
精神的に続けられること!って
私に何があるでしょう・・・?
好きなこと
得意なこと
何かなァ・・・?
ただ
何かにつけて 興味を持つと
トコトン追求しなければ 気が済まない・・・
高齢になっても
その「興味深々」の部分を残せるか・・・?
そこが問題です
(これは私たちだって同じですが)
私は花を通して触れ合っているので、お花を以前やられていた方や、お花が好きな人が集まっています。
お花の「腕に覚えあり」の人もかなりいらっしゃいます。
別に腕に覚えが無くても、興味のあることを続けていることが大事だなと。
ただね、精神的に、或いは知的好奇心のような
脳の働きが物を言う活動より、体が覚えた
腕に覚えありのほうが、認知症になってからでも続けられるような気がします。
当たり前のことですが。
どんな風に過ごしてきたか、其れにもかかわり無く、認知症は発症している気がします。
だから、どうしたらよいか?それこそケセラセラ、と行くしかないのでしょうか?
だから、今を充実して生きていることが大事なのかな。それならanikobeさんは
何をやっても志半ばで挫折。
先が見えてくると嫌になってしまう、
不遜な人間?
それとも、只飽きっぽいだけ?
これから、心を入れ替えて、一筋の道
見つけてみようかしら。
特に若い時は、あれもこれもやりたいと
好奇心に任せて色々挑戦しました。
そんな中で、結局続いたているのがお花だっただけです。
そのうち自然淘汰されて、好きなことが
残るでしょう。無理しないで今、楽しいと
思える事をしてればいいのよ。