Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

お盆

2005年08月16日 18時12分13秒 | 時事・社会
世間の流れに従うのはあまり好きではありませんが、
夫婦そろってまとまった休みを取れるのは、盆と正月
くらいなので、実家に帰省しました。
おかげで、15日に福岡から広島に伴侶と娘を連れ帰り、
また次の仕事地の佐賀へ行くという、無駄な動きをして
しまいました。

お盆(正式名称は[盂蘭盆会・うらぼんえ])の語源は、
サンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)という言葉で、
転じて「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあって
いる人を救う法要」という意味なのだそうです。
お盆の行事はお釈迦さまの弟子の一人、目連尊者
(もくれんそんじゃ)が母を救う話に由来するそうですが、
それに古くからの農耕儀礼や祖霊祭祀などが融合して
伝えられてきたのが日本のお盆です。
宗教には「伝統」が付きもので、「聖典に載ってないから
ダメ」と一概に言えない面もありますが、日本のお盆に
関しては、「薮入り」の名残りが大きいと思います。

江戸時代、お正月とお盆は奉公人が休みをとって実家に
帰ることが出来る時期で、これを「藪入り」と称しました。
当時は、仕事を見習うために、職人・商人ともに、十三・四
歳頃から師匠や商家を選んで丁稚奉公にでたものです。
丁稚たちは例年、正月の薮入りに主人から衣類万端与え
られ、小遣いをもらって親許へ帰ります。
この時期はまた、他家に嫁いだ女性が実家に戻ることの
出来る時期でもあり、自分と自分の家(先祖、ルーツ・・・)
の繋がりを確認する大切な行事でありました。
  (提灯ドットコム「お盆のこんな話しってる?」より)

多くの地域では旧暦のお盆(8月15日)に近い、15日前後
に行われています。というか、関東では7月だって、この
記事を書くために調べるまで知りませんでした。

お中元も、お盆に由来しています。江戸時代に庶民の間
にもお盆が広まると、親族や知人の家を訪ねて進物の
贈答をすることが行われるようになりました。これを「盆礼」
と言います。昔は「盆礼」は「十五日」に行われ、(「十五日
礼」と呼ぶ地方もあるそうです)、1年のうち正月十五日を
上元、十月十五日を下元とし、その中間の七月十五日を
「中元」ということから、盆礼を中元とも呼ぶようになりました。
お歳暮とどっちが先か、詳しくはわかりませんが、単に中間
だからとか、デパートの仕掛けというわけではないようです。

調べれば調べるほど、この国の宗教の雑多性(或いは、
いい加減さ)が見えてきます。地鎮祭を「習俗」とするような
感覚もその延長線でしょう。だとすると、「靖国」に対する
こだわりは、日本人の宗教観とはかけ離れているように
思えてなりません。靖国問題は宗教ではなく政治の問題
なのです。
8月15日に靖国神社に参拝しなかったことについて、個人の
宗教心の発露ならきちんと表明すべきところを、小泉首相が
コメントできないのも、政治的判断であるがゆえです。
(選挙対策という、非常に低次元の判断でしょうけど。)