Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

8・6レポート その2

2005年08月06日 23時25分09秒 | ヒロシマ
夕方から家族全員で再び平和公園に行きました。
カトリック・プロテスタント合同の集会で、私もよく知っている
方が被爆体験を語って下さいました。今年80歳になられる
その方は、腹話術伝道で全国の教会を回られていますが、
ご自身の体験を語り始めたのはつい最近のことです。
「この年まで生かされて、平和を語るために生かされている
のだと最近思うようになった」と話されていました。
思い出すのも辛い、早く忘れてしまいたい。
でも、神様が語れと仰るなら、語らないわけにはいかない。
愛する家族を失う悲しみ、自身の受けた傷、その後も続く
苦しみや後遺症の恐怖、差別や偏見、そして葛藤・・・。
なぜ被爆者はここまで苦しみ続けなければならないのか。
そして、もうこれ以上、苦しむ人を生み出してはならない、と
強く思いました。
娘も、保育園で戦争で死んだ動物たちの絵本を読み、テレビ
で原爆関連の番組を見て、戦争や核の恐ろしさを彼女なりに
感じているようです。今日の話は理解できなかったかも知れ
ませんが、いつか伝わると信じて聞かせ続けていきたいと
思います。

8・6レポート その1

2005年08月06日 12時43分39秒 | ヒロシマ
珍しく早起きをしました。早朝の平和公園で、宗教者(仏教・
神道・キリスト教)合同の原爆死没者慰霊行事が持たれる
ためです。
始発の電車に飛び乗って、6時20分頃平和公園に着きました。
原爆ドーム周辺はまだ人もまばらで、訪問客や報道関係者
よりも、私服や公安を含む警察関係者のほうが多かったです。
慰霊行事(キリスト教に「慰霊」という概念はありませんが、
合同開催のため統一されています)は形式化されたセレモニー
の感が否めませんが、宗教の違いを超えて共に犠牲者を悼み、
核の無い平和な世界を目指す思いでの統一行動が半世紀も
続いてきたことには、感慨深いものがあります。

引き続き、平和祈念式典にも参加しました。
8時15分の黙祷の時に、遠くからシュプレヒコールが聞こえて
きて胸が熱くなりました。前回来た10年前には聞かれなかった
声です。実は私も、大学生の時にデモに参加して、式典に抗議
の声を上げたことがあり、被爆50年の年にそれが無かったこと
が残念でならなかったのです。式典や黙祷に意味が無いとは
思いませんが、少数者の声を圧殺しての「厳粛な」雰囲気には
違和感を覚えます。

新球場問題では完全に悪役の秋葉市長も、この時ばかりは
輝いて見えます。衆議院議長河野洋平も、ハト派らしく、侵略へ
の反省を込めて熱く語ってくれました。参議院議長の扇千影は、
さすがは元タカラジェンヌだけあって、中身はともかく「聞かせる
語り」ではありました。
それに引き換え、小泉首相の熱意の無さは際立っていました。
総論的で中身の無い挨拶を、ぼそぼそと棒読みするだけ。
郵政民営化以外はどうでもいいってことでしょうか。靖国参拝や
戦死者にはこだわっても、被爆者には関心が無いのでしょうか。


この盛り上がりも、本日限り? でも、決して忘れないで下さい。