青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

構い過ぎる

2008年06月30日 | 短歌に政治や社会
平均所得は2500万円超 上位は世襲議員(朝日新聞) - goo ニュース

政治家はこれほどまでに所得が挙げられるのだから、給与や退職金、共済年金の必要は無いだろう。政治家本を出して印税収入があり、講演費も入り、第一年金を貰いながら、給与を貰っている議員もいる。そしてこの印税や講演費は、地位を利用して得られたものだということが出来る。
それに対して生活保護者や母子家庭や父子家庭、高齢者や障害者など弱者となると所得制限や何やかやと制限があって保障が受けられない。こういう不公平感がある。
そういう不公平を作り出しているのが、そもそも政治家なのであるから、不公平もはなはだしい。
今は社会保障費が逼迫しているのだから、政治家は、公僕として精々交通費の支給を受けるくらいに止めて欲しいものだ。
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ここは何処?

2008年06月30日 | 短歌に政治や社会
ここは、何処なのだろう?
私達が住んでいるから、日本であるはずなのだ。しかし語られる言葉、表現される文字、マスメディアや文壇界で用いられる文体は、日本語と外来語がごちゃ混ぜになっている。
そればかりか、林立する看板なども、アルフベット文字だらけで、年配者の私などは道に迷ってしまう。
これでは若者にとっては理解できるかもしれないが、そうすると年配者と若者との間の会話、いうなればコミニケーションが隔絶になってしまう。それは親子の対話でもいえる。
それだけではなく、文化も抹消されていくことになる。教育基本法で「愛国心」をうたい上げようとしても、国語がこのように乱れていては、文化の継承も危うくなる。現に、旅行に行っていて、文化遺産に落書きしている輩がいるくらいである。
ここが何処なのか、私達ははっきりさせなければならない。
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釈尊の一つの教え

2008年06月30日 | 人生設計
釈尊にまつわる、次のような話があり、そして教えがあった。手元には教本がなく覚えているだけなので、言葉に間違いがあるかもしれないが、こんな内容であった。

若い母親が、可愛がっていた子供を亡くしている。そのために母親は、合う人ごとに「子供を生き返らせてください」と頼み込んでいた。人々は「死んだ者は生き返るはずがないのに」と、この母親は気が狂ってしまったと思って見ていた。母親は釈尊にも、「子供を生き返らせて下さい」と頼み込んだ。釈尊は驚いたことに、この母親の願いを聞き届けると応えている。ただし、条件を付けられている。

    「どこかの家から、粟の実を貰ってきなさい。しかし
   そこの家で亡くなられた人がいない、家から貰ってきなさい」

母親は釈尊の言葉に従えば子供が生き返ると思い、さっそく家々を訪ねて粟の実を貰いに出かけました。しかしどの家からも亡くなった人がいない家は無い。どんなに捜し求めても、無いのです。そのうち母親は、「生あるものは必ず死す」という「無常な世」ということに気が付いた。

 この事は私達にとっても、身に凍みる事といえる。過ぎ去った過去のことをあげつらい問題にし、争ったりしている。そして相手を「これでもか、これでもか」と、まるで地獄へ追い落とすようにまで攻め立てている。これまでの過去に、こちらが酷い目にあったかもしれない。しかし、だからこちらも相手に対して鬼畜のごとくになってもよいのだろうか。「報復、復讐」更には「制裁」に「訴訟」へと、何処までも相手を追い詰めていくことだけが、取るべき道なのだろうか。 釈尊の「無常」の教えというものを、噛み締めなければなるまい。
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震災記念日

2008年06月28日 | 人生設計
今日、六月二十八日は、私が住む地域の震災記念日です。
丁度六十年前のこの日の夕方、震度七の地震に襲われました。そして死者は八千人近く、負傷者は二万人を超え、大概の家屋は崩壊し、その上に火の手が挙がり、又河川がせき止められたため水浸しになった所もあるなど、甚大な被害に見舞われました。
昨今の「岩手、宮城地震」もあり、自然災害には気を付けたいものです。
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脱、原子力発電への提案

2008年06月26日 | 短歌に政治や社会

 原子力発電所の建設費用についてちょっと調べたが、百万キロワットの発電所の場合、おおよそ四、五千億円かかるようだ。
しかしそれで稼働できる訳ではない。燃料が必要だが、この燃料は、濃縮しなければならず、このための工場も必要になる。さらに使用済み燃料の再処理、放射能を含んだ廃棄物の処理等といったものや、招来耐用年を経た後で廃炉となった場合の処理等などの費用を含めると、随分と多額の費用を必要とすることが想像できる。
 そこでこれ程の費用を必要とするならば、別の方途に使用して電力の供給に使えないものかと、「脱、原子力発電への提案」を提起してみる。

 この提案とは、すべての建造物の屋上に「太陽光発電用パネル」を設置する、ということである。その費用など施工者は電力会社が行えばいいだろう。ただこの場合、景観とか美観が悪くなるからと言って反対する者がいるだろうから、固定資産税の優遇などで対処するとどうだろう。それは環境問題にもかかわることだから、建造物を建てる場合には義務とする、法律を作るべきかもしれない。
 できれば駐車場にも屋根を取り付けて、そこに発電パネルを取り付けるといいと思う。このようにすべての建造物に太陽光発電パネルを設置する費用と、原子力発電所建設費用とを比べてみると、放射能の心配がない分、安心なことは確かである。
 もっとも太陽光発電は天候に左右されるが、他の水力や火力発電、蓄電施設で補っていけば、原子力発電所は無理にも必要とはしないだろう。もしかすると、石油の節約にもなるかもしれない、とも思われる。

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更に優位性の崩壊

2008年06月25日 | 人生設計

又食肉の偽装、捏造が発覚した。
優越的な優位を保つために、いわゆるブランド名とブランド力を保ち保持するために、下等級食肉を高級品として出荷していたということである。優越を保持し、ブランド力を保つために、こういうのが「涙ぐましい」ということらしいが、いつかはバレて崩壊するものなのに、いつも繰り返される。
それは又、このブランド名とかブランド力というものに対して、コピーとかダビング行為とかいうものが行われて、いつまでも優越性や優位性は保たれずに崩壊して行く。
先日のニュースでは、こんなニュースが報じられていた。
通でないのでどういう部類なのか知らないが、ある芸能人が、雑誌発行所を訴訟したという。なんでも芸能記者が、その芸能人や家族らを追い回し、写真を撮ったりして記事にしたからだそうである。
一方ではスポットライトを当てて欲しいとかステージライトを当てて欲しいなどと優越とか優位に立ちたいという反面、別の面ではそれを嫌っている。どうも矛盾している。優越や優位は、重荷になっているということだろう。
今述べたものは一例で、この優位性の崩壊現象は限がないくらい発生している。秋葉原殺傷事件も、派遣業にしか就けないし、持続できない社会環境に対するはけ口から行われたといわれている。いわゆる弱者の優位者に対する反乱みたいなものなのかも知れない。
いずれにせよ、優位性の崩壊によってバランスがとられて、平等がよみがえるのを願いたい。

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荒みゆく世に

2008年06月24日 | 人生設計
秋葉原殺傷事件や大阪駅通り魔事件など、今日は索漠とした暗い事件が相次いでいて、荒んだ世になっている。
その原因としては、今日の社会を形成しているさまざまな要素が挙げられているが、もっとも大きな原因は、精神的な面、心の問題にあると思う。この精神的な面と心の心理的な面の解決には、宗教の力を借りなければならないだろう。
とは言っても、宗教とは漠然としていて、取りようによっては危険なものにもなる。かといって「無宗教」といって背を向けていてもならない。
ここでは簡単に宗教の基本姿勢といったものを述べて、今日の荒みゆく世を明るくしていくために役立てて欲しいと思う。

今の私たちにとって何が必要かというと、「感謝する」ということに尽きるといってよい。『ありがとう』とか「お陰さま」とか「済みません」とか、そして「ごめんなさい」などをひとこと言葉で表す事である。
そうしたことを、今日では余りすることがない。することといえば、『意地を張る』とか『我侭を言う』などの自己主張ばかりで、相手の立場に立つことがない。これが教養を持ち、知識を持つものほど強いように思える。
こうした『自己主張』の鼻柱をへし折り、『ありがとう、お陰さま、済みません、ごめんなさい』と感謝の一言も述べるならば、それがそのまま宗教であり世の中を明るくしていくものになる。
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青い鳥の歌詞 二十二、花の心を

2008年06月21日 | 作詞

花の心を





土に生き 空に生き
水に生きて立つ 草花の
匂い佇む 姿身に
二つとてない 花咲かせ
花の心を 聞かせてみたい
昇る朝日の 光の中に




朝の光の 眩しい中
澄みて渡る 青い空
遥かにくる 時の流れに
受けては渡す 絆こそ
花の心を 知らせてみたい
優しくそよぐ 風の中に




黒雲走り 稲妻光る
風に倒れる 辛さにも
雨に濡れて 涙しても
花は立ち立ち ここに立ち
花の心を 伝えてみたい
しとどに降るは 雨の中に




世には生きてる この身には
意地張る思い 更になく
我がまま通す いとまなく
ただ有りのまま 素直なままに
花の心に 思いを込めて
夜空に星の 瞬く光に

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現代の幸せ意識

2008年06月19日 | 人生設計
このブログでもよく「幸せ」について述べたことだが、しかし現代の「幸せ意識」は、一つのものに凝り固まっているようだ。
それはどういうものにかというと、
      「意地を張る。
       我侭に徹する。」
という状態に凝り固まっている。
それ故に、この「意地を張り、我侭を押し通す」ために、国際化などとかグローバル化などと人を押しのけ、やらせや捏造し、誹謗や中傷等をしていじめを行い、昔の事、歴史を持ち出して張り合い、それは訴訟したり、刃物や銃砲を取ったりしてまでして争ったりする。
「意地と意地の張り合い」、「我侭と我侭の押し通し合い」は果てしなく続くのに、現代の我々は諦めることがないようだ。
しかし昨今は、自然災害が多発している。「意地や我侭」に使うエネルギーがあるなら、この自然災害から立ち直る、復旧作業のエネルギーに使ってもらいたいものである。
そこから、与えられた命の意義を見出し、本当の幸せを見つけ出していけるだろう。
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社会の切り換えを・・・

2008年06月14日 | 短歌に政治や社会

続く余震募る不安 地殻内の逆断層型 (河北新報) - goo ニュース

先日本ブログにおいて、自然災害などは「神からの核攻撃みたいなもの」と書き込んだ。そう書き込んで間も無く襲った、この地震災害。
別に不安に陥れようとして書き込んだ訳ではないが、現在の浮かれているような世情に対する警告であった。
それにしても、自然の力は「怖い」。
人が、人に対して「ねじ伏せ」ようと武器弾薬や権謀術数を屈指しているが、自然の力に対しては、そんなものでは及ばない。
それを私達は、知るべきだ。そして人は、人に対しても自然に対しても自惚れずおごらずに、人や自然の前に、跪くべきなのだ。そのように心を改め、社会を切り替えるべきなのだ。

それを「神の前に、仏の前に跪く」という。

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