今日理想の主権主義として、民主主義が定義している。最も権力主義や人権主義に脅かされているが、そういう彼らも民主主義の重要さを否定していない。
しかし私には本当の民主主義の理念というものは判らないが、今日の民主主義は多くの弊害を抱かえている。その弊害を探りながら、逆説的に民主主義の理念に迫ってみた。
民主主義の基本は、基本的人権である。それは自由と平等であるだろう。この基本人権の、自由と平等が怪しい。
例えば平等の男女同権、男女平等をとっても、男性と女性の性の違いという相対的な対等性に立たない男女同権、男女平等を強調している。男性らしさ、女性らしさに立つことのない同権意識と平等意識により対立を引き起こしている。
自由についても例えば表現の自由があるが、これは表現する者のみの自由権の強調であり、その表現を受け取る側の都合、その表現を受け取るかとらないかの自由は後回しにされている。それが表現の自由の、言い分といえる。そしてそれによって受けての都合は無視され、青少年に有害な図書やメディアが氾濫している。
このように今日の民主主義は、相対的な個別性を尊重せず、そして対等性に立たないことに大きな欠点を持っている。
こうしたことから民主主義の理念は、私達個人が求めるものではなく、相対するものの基本的人権を認め尊重することから始まるといえるだろう。その上で、相対的対等性ある民主主義となりえる。
これを、絶対的民主主義とでも名付けることにしようか。
しかし私には本当の民主主義の理念というものは判らないが、今日の民主主義は多くの弊害を抱かえている。その弊害を探りながら、逆説的に民主主義の理念に迫ってみた。
民主主義の基本は、基本的人権である。それは自由と平等であるだろう。この基本人権の、自由と平等が怪しい。
例えば平等の男女同権、男女平等をとっても、男性と女性の性の違いという相対的な対等性に立たない男女同権、男女平等を強調している。男性らしさ、女性らしさに立つことのない同権意識と平等意識により対立を引き起こしている。
自由についても例えば表現の自由があるが、これは表現する者のみの自由権の強調であり、その表現を受け取る側の都合、その表現を受け取るかとらないかの自由は後回しにされている。それが表現の自由の、言い分といえる。そしてそれによって受けての都合は無視され、青少年に有害な図書やメディアが氾濫している。
このように今日の民主主義は、相対的な個別性を尊重せず、そして対等性に立たないことに大きな欠点を持っている。
こうしたことから民主主義の理念は、私達個人が求めるものではなく、相対するものの基本的人権を認め尊重することから始まるといえるだろう。その上で、相対的対等性ある民主主義となりえる。
これを、絶対的民主主義とでも名付けることにしようか。