青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

人間と宗教

2024年10月17日 | 人生設計
我々人間の中には、「自分は無宗教だ」と言って止まない者が多くいる。だが宗教は、人間にこそ、人間故に必要なものである。
その理由は、人間は本能のままに生きるべきなのに、本性のままに生きてしまいがちになってしまうからだ。
生命を持つもは、生きていく必要上、三つの欲を持つ。食欲と性欲と物欲だ。食欲は生き長らえるために、性欲は子孫を残すために、物欲は居場所を確保するための欲望で、生存のためである。
動植物はこれを本能のままに生きているが、人間はその本能だけに満足せず、更に貪るように多くを求めて止まず、そのために戦争等の争いや犯罪が絶えず、イジメや虐待が蔓延していく。
この悪循環を絶つのが宗教である。
宗教とは、早くいえば「己の本性を見詰めた上で、本能に立ち返ること」である。別にいえば多くを求めず、己を抑制制御して行くと共に、「今に満足し感謝して、そこに人間の人類の幸せと平和が訪れていく。
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教育改革

2024年09月27日 | 人生設計
今の世は、乱れている。社会も乱れている。それは狂っていると言っていい程、乱れに乱れている。
何故これ程に乱れ狂っているのだろう?
この問いに、一つの解を出した。
その解とは、教育に問題があるという結論に達した。

教育とは、人間としての人間性を育み育成することだろう。これを都合上二つに分けると、一つは心の育成、精神の育成。今一つは、幸福の育成という事になる。
幸福の育成とは、人間は幸せになりたいという望みをもっており、そのために兎角道を外れがちになるか、それを心、則ち精神によって正して行かなければならなくなる。
幸せになりたいというのは欲であり、その欲を満たそうとして他と争い、戦争もする。物も取り合い人を殺害もするし、イジメや虐待もして止まない。いわば欲望を満たし適えるためにはなんでもしている。
これを心と精神の育成によって正して行かなければならなくなる。
その方法として信仰と宗教がある。
しかし人は信仰心を持とうが宗教心を持とうが、憲法にて信教の自由が記されていると言って止まない。
これは間違った考え方で、正しい宗教ならば、宗旨宗派を問わないことを言っているのであって、無宗教であればいいということではあるまい。。正しい宗教とは、例えば仏教についていえば、仏教の実践は、「人身得難し、今已に受く」と今の我が身に満足していき、

「得られたもので満足すべきである。欲 深は罪悪である。ハンサをとらえてみた ものの、黄金は失われてしまった。

(『ジャータカ』)

<解説>死んだ父親は黄金の羽を持つ 鳥(ハンサ)に生まれる。家族のためにと時々1枚の羽根を置いていった。妻た ちは、豊かになるが欲が生じ、ある日、 すべての羽根を引き抜いてしまう。以来、 羽は鶴の羽のようになり、黄金は失われた。欲深の怖さを述べている。

服部育郎・中村元東方研究所專任研究
とあるように、欲を捨て去る事を説いている。言うなれば、欲のために自身も他人も苦しみ、全てを失うこととなる。
教育に富を求める、それは文化文明の発展ではあり、科学技術の発展でもあり、身内を亡ぼすものも内包している。故にそれを監視する信仰心や宗派心が必要になる。
宗教はこのように、今のそのままをありのままに喜び受け入れて感謝して行くことによって、世の中を平和に導いて行こうとする教育である。
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仏教の二つの道

2024年09月07日 | 人生設計
仏教には二つの道がある。一つは小乗仏教、今一つは大乗仏教という。小乗仏教というは小さな乗物のことで、自分一人が悟りに達しようと言うのに対し、大乗仏教というは大きな乗物のことをいい、みんなで悟りを得ようという道である。仏教を修める修行には、この二つの道がある。
一般に仏教というと大乗仏教を言うが、人はみなそれぞれに性質も性格も異なる多様性があり、まとまって一つの道を歩むのは難しい。どうしても仲違いしたり、イジメや虐待、誹謗中傷が渦巻く。故に大乗仏教は、いくつもの宗旨宗派が乱立して対立している。
道を究める事をなおざりにして抗争に明け暮れるという欠点を持っている。
他方の小乗仏教は、自己を整えることに重点を置いて、自立心を養い、辛さ苦しさ悲しみに耐え忍耐していきながら、世の誠の道をたどろうとしている。
添付記事にあるように、一般に大きいことはいいこととし、拡大成長や進歩を目指せば、その分負の遺産が現れることを覚悟しなければならない。
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人類の先

2024年07月21日 | 人生設計
電子書籍で町屋肇氏著書の、「人間の本質とは」「生きる術とは」を読んだ。この本の内容は、この世の成り立ちを語りつつ、生命の成り立ちにも触れている。
その生命の中で我々人類は、分明文化を発展させてきたが、それはブラス面の一方でマイナスの及んでいることを語っていた。
例えば、現在進行してる地球温暖化を阻止しようとして、原子力発電で電力不足を賄おうとしているが、この原子力発電に際して発生する放射性物質や放射性廃棄物の処分法が確立されておらず、ために放射性物質や放射性廃棄物が貯まるばかりになる。
この始末は、放射性物質の半減期が約千年かかりますから、次代に付けを廻し、押し付けることになります。
今の我々が、豊かささ便利さを謳歌していて良いものでしょうか。
星屋肇氏の著書は、訴えています。
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2024/03/27

2024年03月27日 | 人生設計
ブッタの寓話
旧統一教会に過料の支払い命じる決定 東京地裁 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240326/k10014402901000.html
今日の世界は、乱れに乱れている。殺し合いする戦争は絶え間無く続き、陰惨な犯罪も続くばかりでなく、自然災害も果てなく続いている。この自然災害には自然自体による事ばかりでなく、人間の生存による部分もある。これにより地球温暖化、環境汚染や気候変動らが、人類ばかりか母なる地球を危ぶませていく。
聖書の「人はパンのみにて生きるにあらず」のように、「もの」中心に生きるべきではなく、精神を持つ以上「心」も併せ持って生きるべきではなくなかろうか。
このことの解党として、「ブッタの寓話」に込められている。
    解説文  URL

https://1kara.tulip-k.jp/naruhodo/2018063170.html
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2024/02/22

2024年02月22日 | 人生設計
家庭とは
“夫婦別姓認めない民法の規定は憲法違反” 12人が国を提訴へ https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240222/k10014366681000.html
結婚して、何のために結婚するのだろうか?
結婚して、新しい夫婦の家庭を築くためではなかったか。
それを夫婦別姓として、別々の個性の家庭を築くつもりだろうか。いやそうではなく、我が儘に好き勝手に生きようとするだけではなかろうか。
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2023/11/17

2023年11月17日 | 人生設計
宗門の道
市川猿之助被告 懲役3年 執行猶予5年の有罪判決 東京地裁 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231117/k10014260881000.html
人間は人間世界に生きながら、一人で生きなければならない。この人間世界にあって一人で生きる道は、宗門の道しかない。
故に宗門に生きよ!
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2023/10/17

2023年10月17日 | 人生設計
金は関係ない
旧統一教会「残念で遺憾 深刻な事態」会見で政府の対応を批判 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231016/k10014226671000.html
宗教に金は関係ない。
宗教に金を絡めるのは、辛さ苦しさ悲しさを金で解決させようという、浅はかな教義に他ならない。それはまた、その解決を他に求め外に求めさせようとする依存心を増長させようとするもので、あくまでも自己を寄る辺とした宗教本来の道から外れている。
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完全民主主義論

2023年10月12日 | 人生設計
完全民主主義論

完全民主主義論

現代の民主主義は、元々完全でなかったために、綻びている。だから世に、イシメ、虐待、犯罪、戦争などが絶え間なく続いている。これは民主主義が完全でないことにある。

それは民主主義の根本理念である「基本的人権」によって、纏まりのないバラバラな社会になってしまっている事にある。その上にこの世の哲理、真理に沿った民主主義ではないということと言う。だから公人だからと言って、自分や自分たちの事を、自分や自分たちで決めるのを民主主義と思っている。

この自然の哲理、真理とはどういうことかと言うと、物や物事は単体で存在しておらず、相対的な相手と共にあり、それが調和の取れた共和の元に融合し協和して存在していることを言い、それが自然の姿であり世の姿である事を言う。

では民主主義を正しく有らしめる相手は何かというと、宗教である。

だが宗教と言ってもたくさんあり、そのどれもが適するものではない。数多ある中で適した宗教とは、その教義に「したいのにしてはならない、したくないのにしなければならない」を持つ宗教が正しく適した宗教である。

民主主義が宗教と融合し共和することによって、民主主義は野方図な自由は制限され、民主主義本来の姿に立ち返ることになる。

なお宗教の代わりに、哲学、道徳でも良いかもしれないが、哲学や道徳では、自然の哲理と真理に沿った行為行動が取れない貧弱さがある.

宗教心を持った信仰心に目覚めずに、民主主義や哲学や道徳を、語ることなかれ。

宗教や法、民主主義や道徳は特権ではなく、正しく守るべきものである。とともに、基本的人権には戒律によって管理されたものであるべき出る。そうでなければ民主主義のみならず、全てのものは民主主義自らの手によって破壊され、地球温暖化から異常気象へ、無少子高齢化社会へと小志向憂い化社会へと地進んでいく。



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盲いた老海亀と古木

2022年03月28日 | 人生設計
盲いた老海亀と古木

お釈迦様のお説教に、「盲いた老海亀と古木」というお話がある。これは大海を泳いでいる老海亀と古木が出会うが、この現象は何千億年、何万億年後の世にも見られると語られておられる。
この話しから私は次のように思った。
例えば、夫婦がいたとしよう。この夫婦が命終った後はどうなるか?
何千億年、何万億年後の世にはまた二人は出会い結ばれると言っている。
人間は生きたって、百年ソコソコ。何万億年後の世は知る由もない。しかしお釈迦様は、「縁起」を知ってかく言っていられる。
このことは更に、今の夫婦は、何千億年前、何万億年前においても夫婦だったこととなり、過去に生きた夫婦が縁起して今の夫婦があるということになる。
ここで思うが、今の世において夫婦仲良く助け合い、仲睦まじくしていかなければ、正しく縁起するまい。
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