青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

優位性の崩壊

2008年06月11日 | 人生設計
今日は、何にでも評価が付けられる。数値が付けられて、優劣に分別される。この数値化され優劣に分別されて評価されることによって、格差社会は広がっている。
「平等」と言いながら、この「不平等」性・・・・・。
この広がる格差の不平等に、優位性に対する崩壊現象が始まっている。大きなところでは「原油高騰」であり「物価高騰」、そして「地球温暖化現象」による「気象異常」。それは作物生産減産などに、つながっている。こういう現象の直撃を受けて、低所得者たちの生活は厳しさを増している。そして、この不満が噴出し始めている。
優位者に向かってーーーーー。権力者に向かってーーーー。
個人行為として、あるいは集団行為として、暴徒化し始めている。
時には次の新聞のコラム記事のようなものもある。

▼2001年、大阪教育大付属池田小を襲った悪夢。▼あの日と同じ6月8日。再び惨劇が起こった。今度は歩行者天国でにぎわう東京・秋葉原。25歳の男が通行人に次々と襲いかかった▼暴走したトラックは人をなぎ倒し、振りかざした両刃のダガーナイフが突き刺さる。悲鳴が上がり崩れ落ちる人、血だまりのなか息絶え絶えの人…。7人が命を落とした▼

平家物語の冒頭に
  「おごれる者、久しからず・・・・」
とあるように、優位性に立とうとする者の末路は、このように定まっている。しかし歴史を学んだというのに、その歴史を学んだということは、少しも役に立っていない。
「優位性」を求めて「おごる」ばかりだ。
自然の道理は、平衛化を常とする。カタカナ語で言えば「バランス」を取ろうとする。そして「平均化」しようとし「平等」になろうとする。それは先日述べた「自由と不自由の理論」と同じことである。
今の今日は、その為の痛みの時であり、犠牲を求められている、と言えるだろうか。
コメント
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