親戚の少年が七月末、命はかなくなった。彼は難病で障害を抱えながら、学校での勉強に取り組んでいた。
学校の先生、学友がたくさん通夜と葬式にきてくださった。
炎天下酷暑のなか、大勢のひとに交じっている少年の学友に、私は
「暑いところを遠くから来てくださってありがとう」と心を籠めてあいさつした。
「お勉強したい」と最後まで努力を重ねていた少年に対して、学友は哀惜の
気持ちを表すためにきてくださっていた。
家族は一家挙げて少年の闘病生活を支えていた。いま、皆さんは悲しみの中で
抜けた輪のあとを見つめるように放念し呆然たる心境にあるでしょう。
こちらからは掛ける言葉もない。
それに引き替え、我が家に来ている孫のだらしのないこと。
遊ぶことしか念頭になく、夏休みの宿題はないと私たちにウソ八百をいう。
年寄はころりとだまされる。
街に遊びに出ることばかり主張し、大人を遊びに巻き込もうとする。
彼らの行動を見ていると、大人が生活をすることに関心と理解がなく、
家族で共同生活する気持ちがまったくない。だから、
家事手伝いに進んで協力することはない。
「なんで洗濯が大変なの。あしたにすればいいじゃないの。遊ぼうよ」と
こうである。
大人が仕事をして生きていることが理解できていないのである。
家事手伝いをにわかに教え込もうとしたが、この孫には自分でできる家事手伝いが
頭の中にないのである。だから家事作法を教えてもなかなか身につかない。
私には孫たちのこれまでの生活の様子がおおよそわかる。
生活することの意味をわからせなければ孫の態度はあらたまらない。
あまりにひどい姉・弟の喧嘩に私が爆発した。怒り心頭に発した私は
ふたりを抱え上げ思い切り尻をぶったたいた。
私の右手は内出血し、はれあがった。私の左目の結膜が出血、赤目になった。
近くの眼科医に診てもらったところ、さいわいにして、眼球に出血はなかった。
孫の方は相変わらず遊んでばかりで、叱った効き目も出ていない。
こうなっては、親がきちんと生活して生きていくことをみせて、家事のやり方を
教え込むしかない。子どもにはしばらく、遊びから遠ざかる毎日をすごさせる
しかない。
もう一人の孫は「ぼくがずるをしたとき、一年間お遊び禁止となってしまった」と
話をしていた。学校をズル休みしたら、ぜったいに許さないことを示さなければ
ならない。「夏休み出校日は出なくてもいいの」とうそぶく子は叩き出せ。
女流作家藤原ていが『愛は惜しみなく奪う』とタイトルで親の愛情をどこまでも
奪い取っていくも子どもの姿を記録している。親はこどもの自分中心の要求には
限度と制限が加えられることを子どもに知らしめねばならない。
にんげんの子どもは余にも恵まれた環境の中にいると、自分で悟るところは
きわめて少ない。
いや、子供だけでなく、成人になっても人間は悟るところが少ない
手のかかる生物体なのである。
学校の先生、学友がたくさん通夜と葬式にきてくださった。
炎天下酷暑のなか、大勢のひとに交じっている少年の学友に、私は
「暑いところを遠くから来てくださってありがとう」と心を籠めてあいさつした。
「お勉強したい」と最後まで努力を重ねていた少年に対して、学友は哀惜の
気持ちを表すためにきてくださっていた。
家族は一家挙げて少年の闘病生活を支えていた。いま、皆さんは悲しみの中で
抜けた輪のあとを見つめるように放念し呆然たる心境にあるでしょう。
こちらからは掛ける言葉もない。
それに引き替え、我が家に来ている孫のだらしのないこと。
遊ぶことしか念頭になく、夏休みの宿題はないと私たちにウソ八百をいう。
年寄はころりとだまされる。
街に遊びに出ることばかり主張し、大人を遊びに巻き込もうとする。
彼らの行動を見ていると、大人が生活をすることに関心と理解がなく、
家族で共同生活する気持ちがまったくない。だから、
家事手伝いに進んで協力することはない。
「なんで洗濯が大変なの。あしたにすればいいじゃないの。遊ぼうよ」と
こうである。
大人が仕事をして生きていることが理解できていないのである。
家事手伝いをにわかに教え込もうとしたが、この孫には自分でできる家事手伝いが
頭の中にないのである。だから家事作法を教えてもなかなか身につかない。
私には孫たちのこれまでの生活の様子がおおよそわかる。
生活することの意味をわからせなければ孫の態度はあらたまらない。
あまりにひどい姉・弟の喧嘩に私が爆発した。怒り心頭に発した私は
ふたりを抱え上げ思い切り尻をぶったたいた。
私の右手は内出血し、はれあがった。私の左目の結膜が出血、赤目になった。
近くの眼科医に診てもらったところ、さいわいにして、眼球に出血はなかった。
孫の方は相変わらず遊んでばかりで、叱った効き目も出ていない。
こうなっては、親がきちんと生活して生きていくことをみせて、家事のやり方を
教え込むしかない。子どもにはしばらく、遊びから遠ざかる毎日をすごさせる
しかない。
もう一人の孫は「ぼくがずるをしたとき、一年間お遊び禁止となってしまった」と
話をしていた。学校をズル休みしたら、ぜったいに許さないことを示さなければ
ならない。「夏休み出校日は出なくてもいいの」とうそぶく子は叩き出せ。
女流作家藤原ていが『愛は惜しみなく奪う』とタイトルで親の愛情をどこまでも
奪い取っていくも子どもの姿を記録している。親はこどもの自分中心の要求には
限度と制限が加えられることを子どもに知らしめねばならない。
にんげんの子どもは余にも恵まれた環境の中にいると、自分で悟るところは
きわめて少ない。
いや、子供だけでなく、成人になっても人間は悟るところが少ない
手のかかる生物体なのである。
きた訳です。一回先ず子供の時代背景に戻りその子達を育てた自分達の時代背景を考えると約30年のタイムラグがあるので、とても自分の意に添わせるなんてあきらめています。公共交通機関を使って天拝湖等に連れて行っています。
じいとばあは困惑しています。