脳腫瘍の家族の交流の場 生命のメロディ 

そよかぜと申します。脳腫瘍を患ってみえるご本人を支え介護する家族のみなさんの交流が広がればと思っております。

最初が肝心

2011-05-06 22:47:23 | 交流
脳腫瘍、「脳に癌(がん)が発症したのだ」という認識を持った。しかも悪性の脳腫瘍、神経膠芽腫、いろいろなデータを検索しても予後ははかばかしくない。ドクターはオペの直前、悪性の脳腫瘍の可能性が高いと言われ、オペ終了後小鬢に入った肉片を見せられ、「膠芽腫」というメモ書きを渡された。ご自身でお調べになってくださいという雰囲気だった。オペ直後であり、無事に終了したという安堵感でいっぱいであり、ドクターの配意だったと思う。「もうこれはどうしようもない」という気持になりました。姉と一緒にドクターから治療についての見解を伺った。9月に最初のオペ、さらに11月に再オペ、とんでもない病気だと困惑したのを覚えている。「もうなにをしても駄目なんだ。」「最悪、年を越せない」という絶望の気持が強まった。もちろん精一杯姉を応援しようと決意は固めたものの、内心では「絶望」の想いに打ちひしがれていた。「何をやっても駄目なんだ」という気持で姉を支えるのと「なんとかしよう、いい治療方法はないのか」とドクターに迫るような気持で姉を支えるのとでは全然病に向き合う意味合いは違ってくるのは当然である。誰にでも分ることなのだが、私自身は当初はどう考えても前者だった。このスタート・ラインが不味かったように思うのである。幸い二回目のオペが成功し年を越せることになった、いや予後は悪いものとは言え、もう少しは長らえるかもしれない、それぐらいから、やっと少々は前向きに姉の病に向き合う助走路に足のつま先がかかったように思うのです。やはり最初が肝心だったと思う。もちろん誰が悪いというのではない。悪性の脳腫瘍という宣告は私にとってはそれほどの衝撃的なものだったということである。

4 コメント

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お返事 トワさんへ (そよかぜ)
2011-05-24 23:04:57
姉の9月のオペが終って、また11月に再オペ、なんという恐ろしい病気だと思いました。二ヶ月に二度も開頭をする。姉は二度のオペを乗り切りました。ご本人の辛さ、不安は筆舌に尽くしがたいものがあると思いますが、サポートする者にとっても、それはそれは深いものがあると思います。姉が二回のオペの終了後、病状が安定した頃、いっときは年は越せないと不安でいっぱいだったはずの自分に、これから姉の療養生活はどうなっていくのだろうとか、自分の生活はどうなっていくのか、姉はピアノを弾くことが生業でしたから、姉の医療費はもちろんですが、生活全体を支える身になって、姉の病の不安はあるものの自分たちの家族の生活の不安が増してきました。姉がシングルであり、姉の支える者が小生だけであるという現実がありました。姉がオペを乗り切り、やっと本格的にリハビリを始めようとし、抗ガン剤の服用、放射線治療も既に進められていた時でした。もちろんワイフは全面的に支えてくれましたが、・・・・。自分の気持ちを誰だって大事にしてしまう、そういうお気持が心に生まれるのは自然だと思います。でもそんなお気持を払拭されて、今、お父様の病に向き合ってみえるのですから、そして今のお気持を自然体で綴って見えるのですから凄いことだと思います。最新のお父様の病状も拝読しました。シビアーな状況です。それを綴ってみえます。吐露することによって、お気持の整理もできることもありますが、これからの貴女の決意の自己表明と受けとめています。とても勇気のいることです。貴女が小生の拙いブログにノックしていただいて有難うございます。少しでも心穏やかになられ、ご自分で抱え込まれず、受けられるサポートは活用されて、貴女の想いが吐露できる場になれば望外の喜びです。今後とも宜しくお願い申し上げます。
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お返事 ごんままさんへ (そよかぜ)
2011-05-23 22:42:23
姉の主治医も「お元気な時はお家に帰られて、お姉さんのされたいことをさせてあげてください」と助言してくださいました。仕事の都合でそう何度も家には戻れませんでしたが、路上で倒れ、緊急入院、転院、オペと慌しく時間は過ぎていきました。先ずは自分の部屋の整理をしたかったそうです。大事な物を看護師さんたちに形見分けするともいって、小箱に入れていました。退院後は左手の麻痺はありましたが、初期は自力で生活ができていました。主治医とは「仲良し」になり、病の相談もしていましたが音楽の話〈オペラ〉をよくしていたそうです。年を無事に越せて、主治医とはなかなか話す機会がなくて、それくらい病状も落ち着いていました。面会の時も、最初の頃は、出来るだけ看護師さんと目を合わせないように「忍者」のように通りすぎたいのですが、ナースセンターで駐車券にスタンプを押印してもらわなくてはいけないのでビクビクドキドキでした。でも姉の病状が安定して、病棟の看護師さんの名前も分り、当日勤務の看護師さんの状況も分って、けっこう気軽に話しも出来るようになりました。
そして姉の病にも向き合う一歩一歩を踏み出したようにも思います。こういうことをしたら、何かをしたら、「病に向き合える」というものではないと思います。車椅子での生活、寝たきりの生活へと姉は生活を刻んでいきましたが、姉が一番心配していたのは、自分が言葉を話せなくなり、自分の想いを伝えられなくということでした。仕事を終えて夜遅く面会に行くと、姉は既に熟睡しており、覚醒させて話をするのも躊躇して、退室したこともありましたし、ターミナル期には姉は言葉も発せられず、洗濯物を預かり、CDプレヤーの電池を交換したり、耳にイヤーフォンを装着し、オムツやパッドを買って、補充をすることだけでした。ただ姉が倒れなければ、姉をサポートすることもなかったと思います。姉と私の距離間も縮まることはなかったと思うのです。みなさんのブログを拝読して、心洗われ、学びの日々を送れています。今後とも宜しくお願いいたします。
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同様です・・・ (トワ)
2011-05-12 11:04:49
父の脳腫瘍の発症からかれこれ1年4ヶ月・・・
私もそよかぜさんと全く同じ気持ちでした。

父の病を目の当たりにし、ドクターからのお話しも、
自分で調べる限りの情報も全てブラックなものでした。

当初は毎日毎日泣いて夜も眠れず、食も無く
完全に自分が悲劇のヒロインでおりました。

ナゼ父がこんな病に・・・
ナゼ父なのか・・・
ナゼ私がこんな思いをしなければならないのか・・・

考えてみれば、当初の自身の思いは
なんとも自己中心的で自分本意な考えだったと思います。

自分が辛い思いをしたくない、
悲しい気持ちになりたくない
寂しい思いをしたくない・・・

それって父の心配ではなく、
自分の心配じゃん。

って、ものすごく恥ずかしく情けない気持ちになりました。

一番辛いのは父だ。
そして、父だけがこんな辛い思いをしているのではない。
病で苦しんでおられる方は他にもたくさんおられます。

私はまず、そよかぜさんのこのブログに辿りつき、
つくづく、そういう自分の浅はかな思いに
これでは駄目だと自分を改めました。

現在父は再発から少しづつ容態が悪化しています。
それでも、当初の自分より今は前向きな自分がいます。
涙する夜もありますが、それでもまだこの世に「生」がある限り、
前向きに一分一秒でも楽しいと思える時間を共に過ごしたいと思っています。

この病の最悪さは十分理解してはおりますが、
それでもまだ諦めてはおりません。
まだまだ父と共に闘っていきます!!


今の私を前向きな思いにさせて下さったのは、
そよかぜさんを始め、
そよかぜさんを通じて出会う事のできた、
同じ境遇に立たされていらっしゃるご家族の方のお陰なんです。
ですから、本当に感謝の気持ちで一杯です。

力の源を与えて下さって本当に本当に有難うございます。

私、まだまだ頑張ります!!

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本当に… (ごんまま)
2011-05-08 10:44:33
「最初が肝心」というタイトルにドキッとしました。
本当に…
でも突然の、それこそ晴天の霹靂のような宣告に冷静で前向きでいられる人はそうそういない、と思います。
そよかぜさんのような反応はごく自然…というかみんなそうではないでしょうか。
私もそうでした。
ネットで調べても良い情報なんて全くない。
せめて、藁にもすがる思いで闘病記を読みあさり、長くがんばっていらっしゃる方のブログに励まされたり…

でも、私は今違った意味で「最初が肝心」と思っているのです。
これはドクターのお考えにもよるので、決して最初の主治医の方針を否定するつもりはないのですが…
前の主治医は「慎重派」でした。
もっとも、地方の病院で悪性の脳腫瘍患者なんてそうそういるものではありませんからそれも仕方ないことだとは思いますが…(テモダールの処方も初めてでした)
風邪をひかないこと、転ばないこと、疲れないこと等々親が子どもを心配するようなお言葉をたくさんいただいて退院しましたから、
日常生活はとにかく慎重に、無理をしないで…ということになりました。
今のドクターは入院当初から
「何をしてもいい、何を食べてもいい」とおっしゃって下さり、「一番いけないのは部屋に閉じこもっていること」と言われました。
去年の6月に退院してから、麻痺もなく、比較的体調の良かった年末までの間、夫は体調の悪化を恐れて旅行にも行かず、温泉もたった一度きりでとってももったいなかったなぁ~と悔やまれるのです。
体調を崩さずにテモダールを飲むことが第一目標となってしまい、
限りある時間を有効に楽しむことができなかったこと…本末転倒だったような気がしています。


今のドクターならきっともっと積極的に過ごすように助言して下さったかもしれない…


悔やんでも時間が戻せる訳ではないのですが、
もっと違う暮らし方があっただろうと思うと残念でなりません。
決して以前の主治医に不満があるわけではなく、
当時、脳腫瘍という宣告にうろたえていた私たちの気持ちには本当に暖かいお言葉だったのです。
だからその優しいお言葉の中に逃げ込んで、大事に大事に過ごしてしまった自分たちがふがいないのです。
もっと前向きに生きてくるべきだった…そうすれば、今の夫の精神状態も少しは違っていたのかもしれないと思ったりするのです。


……言ってみても、時間が戻せるわけではなく、せんないことではありますが、
もしまだ闘病生活の入り口におられる方に少しでも参考になれば…と思っています。


長々ととりとめもない文で申し訳ありません。
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