姉がどんなに苦しい状況になっても、それが姉としての全力をかけた「自己表現」であり「自己実現」であるかぎりサポートしようと心に決めた。いつのことだったかわからないのであるが・・・。ターミナル期の手前だったと思う。そう決めたら、ちょっとは気が楽になった。それで何が自分にできるのか考えた結果、姉について綴ることにした。それまでも四季の移り変わりや心を動かした光景をスケッチ風に綴ってきた。それを一歩深めて、「ことば遊び」から一歩進んで、意識して「詩を書く」ことにした。週に一度は必ず訪問していたので、訪問するたびに、詩を綴って持っていくことにした。姉にもカラーの紙に印刷した稚作を見せると最初は苦笑いして読んでいたが、だんだん目を細めて見ることもなくなっていた。病室の壁に画鋲で重ねて貼り付けていった。看護師さんも最初の頃は誰が綴ったのか分らなかったようだが、最後にはばれてしまった。姉も看護学校からの実習生にお世話になることもあった。担当の実習生にお礼の意味を込めて渡してくださいと拙い稚作を看護師さんに渡したのが、いつのまにか実習生全員に配布されていた。「姉がお世話になった実習生に」と念を押して、看護師さんに渡したのに、少々冷や汗ものだった。看護師さんに「抗議」しようと思ったが、あんまりあっけらかんに言われたので、その想いは笑ってごまかした。ブログにリンクしてありますのでお時間のある方は気軽にノックしてみてください。姉の命の調べのシンフォニー(四季)
ことができました。ご本人にどれくらい寄り添えることができるのか、ご本人にとって何が支えになるのか、暗中模索の日々でありましたし、試行錯誤の日々
でした。姉が旅立ってから、ご本人やサポーター(ご家族のみなさん)のブログを拝読し、多くのことを学ばせていただいています。「交流の場」ということになっていますが、私自身の学ぶ場になっていると思います。と同時に同じ病に向き合うご本人を支えるサポーター(ご家族)のみなさんの重苦しいお気持が少しでも軽減出来る場になればと思います。ややもするとどうしても重苦しい想いでいっぱいになると思います。そういう想いを出しあえる場になればと思います。しらゆりさん、貴女がこれまでどおり貴女が生きられて感じられた想いを綴られることを期待しております。貴女が病に向き合うご本人として、また看護師として、しかも教育の場にみえられたというのはある意味、大きな強み(財産〉でもあるわけです。横着をまたしても綴っています。今後とも宜しくお願いいたします。
私は看護師としていろいろな場で仕事をしていました。その半分の期間は、教育の場に身を置いていました。その頃の思いが抜け切れていない自分が時に皆様へのコメントにきっと皆様のお気持ちに沿わない事を申し上げていると思います。そして、患者である私をそのようにおっしゃってくださいますが、ご家族への配慮の足りない言葉を申し上げている事も多々あることと思います。
そよかぜさんのこのブログに出会い、そよかぜさんはじめ、多くの方に支えていただき、今日まで過ごしてくることができましたこと、心から感謝いたしております。
私は、私の立場でこれまで生きてきた私としてでしかいることができませんが、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。そよかぜさんの、お姉様と闘病された記録からたくさん学ばせていただい
ています。これからも学ばせてください。
その想いが込められています。それをひとつひとつ拝読するたびに胸を打たれます。寄せられるコメントの中でも貴女のコメントは貴重なものです。この病に向き合われているご本人は日々が「真剣勝負」であるわけです。「しらゆりのように凛と生きる」というタイトルの通り
ですよね。姉は病に向き合っていました。気弱な小生のことを慮って、療養生活を送っていました。姉の病を知り、小生が何を思い、何をしてきたか、それは小生しか知ることのできないものです。ご本人やサポーターのブログから学んだことは実に大きいのです。少しずつでも綴っておかないともう忘れてしまいそうです。姉の綴った文、病院から開示していただいたカルテ、記憶に残っていること、精一杯取り組んだことを綴ります。貴女にプレッシャーをかけるつもりは毛頭ありませんが、でも結果としてプレッシャーをおかけしていると思います。いつものことながら迷いごとのようなものを綴って
いますが、今後とも宜しくお願いいたします。
貴女の前途に幸あれ、心より祈念しています。
お風邪など召されませんようご自愛下さい。
壁に貼られた色とりどりの詩に囲まれ、お姉様はお喜びだったでしょうね・・