竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

中区 花山車

2014年01月30日 | 三谷祭
 花山車【はなやま】
 江戸期には「中濱嶋」、明治から昭和初期までは「中濱區」、現在では「中区」ですが、今でも「なかはま」と呼ぶ人も少なくありません。法被の文字も「中濱区」!
まわりを他区に囲まれ広がる事が出来ず、他地区への流出が増え、空き家、駐車場が目立ち、人口の減少に歯止めがききません。人員不足による祭の形態、運営方法の変更が継続的な検討課題になっています。
しかしながら、かつての世帯数、人口が6区で群を抜いて1番だった頃の心意気は今も受け継がれ健在です

 明治26年(1893年)建造。棟梁は阿久比の名工江原新助、彫刻は尾張藩御彫物師の流れをくむ九代早瀬長兵衛。両巨匠の明治期の貴重な作品といえる。

年代不詳
<山車起し:奥州白石噺>
嘉永元年(1848年)より歌われる。350年以上前の有名な仇討ち噺「宮城野信夫」が題材となっている。現在では始めと終わりの15節ずつ、30節ほどを歌っている。
平成19年に復活した「五色おんべ」と共に神幸行列の先導に花を添えている。

<上区と中区の出会い>
 各区出発の時間(号砲)がくると、上区は山車を曳いて中区の山車の前に進んでくる。中区は山車を国道北側に南面にして止め、大年行司を真ん中に山車関係者は並ぶ。一方警固を含む練り関係は国道を横切り南側に並び、先頭(お宮に近い方)に位置する「ほろ山」囃子堂等は進行方向(お宮の方)に向ける。これで出発準備が完了する。
 これを見届けて、上区の後尾(押え警固)がほろ山の線を通り過ぎると中区の山車を国道真ん中に出して、出発の支度をする。












<過去に掲載した山車>
上区:剣の山車【つるぎのやま】  2012/4/2
西区:恵比寿の山車【えびすのやま】 2012/4/6
北区:三蓋傘の山車【さんがいがさのやま】2013/6/29
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