竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

元GHQ エアーズ大佐の貢献 (その8)

2022年07月17日 | 元GHQ エアーズ大佐の貢献
令和4年7月17日(日)
お早うございます。
7月17日今日は何の日・・・私、竹内しげやすの66回目の誕生日です。

今日は戦後 日本の電力復興、再編成に大きく貢献した,
「元GHQ エアーズ大佐の貢献 その8」を掲載いたします。

エアーズ大佐と長田理との関係について
 現在、蒲郡のHillTopという喫茶店のマスターである長田理氏の話を興味深く拝聴してもにわかには信じがたく、色々調べてみましたがすべてが事実でありエアーズ大佐はもとより長田氏の偉大さに唯々驚嘆するばかりです。
いろいろある資料や著作物の中で長田氏がエアーズ大佐と関わった経緯を紹介する彼自身の手記を許可を得て改めてここに紹介したい。

 最初、この話を聞いた時、雲を掴むような話で半信半疑だった。
戦後にはデマや謎が多 く、これもその類かな...と思ったからだが、長田さんの豊富な資料を読み込んで真実と分かった。
特に資料中の「原稿用紙に書かれた手紙」には一驚した。
専用の原稿用紙に書かれていて宛先はエヤーズ大佐。
差出人は松本蒸治。松本は公益事業委員会委員長だが、国務大臣時代、日本国憲法草案(松本案)を起草し、GHQ民政局(ケーディス大佐)と鋭く対立した人でもある。
副委員長は「電力の鬼」と言われた松永安左右衛門。
これを書いたのは文面から思量して松永氏と思われる。
日本語で書かれた手紙の抄録を、簡単に記しておく。「(エアーズ大佐の離日に際し、感謝と別れがたい気持ちを述べた後)、(私と貴方の間で)意見の食い違いはあったものの、(両者の根底にあった物は即ち、日本経済の再建という事でありました。(中略)今 日(一九五二年三月一八日の日付)窓外を見わたすと、とりわけ東京では再建の進捗が見られます。これは電力なくしては達し得られぬ事であります。 これは国民の協力と努力によると言う人もあり、それも正しいかも分かりませんが、貴官の如き有能な指導者が再建の方向付けをして、初めて為し得た事です。(電気技官としてのエアーズ大佐の力量を褒めた後、日本に)九会社は貴官の努力の記念塔として残りつづけ、運営されるでありましょう。日本国民が貴官の努力の数々を知っていたら、国民全体 が貴官に謝意を述べたでしょう。(後略)」

文面から分かるのは、エアーズ大佐の事跡が余り日本国內で発表されていなかった(知られていなかった)事で、だからこそ、長田さんは「秘話」と付けたのであろう。 (細井達男著)

日本の戦後秘話・・・経済大国への道  
  蒲郡市 長田 理
前書き
 近代国家の基礎の大きな一つが電力であることは疑いようがない。戦後日本の奇跡的な復興と発展を支えたのもまた、間違いなく「電力」である。戦後日本電力事業に大きな役割を果たしたアメリカ人を私が知ったのは偶然であるが後に、深い関りを持つに至った。

彼はエアーズというGHQの大佐で、実に興味深い話を語ってくれた。マッカーサー元帥が臨席した会議(御前会議と言われていた。後出写真)で、「今後の日本を、農業国するのか工業業国とするのか」と、日本の占領政策、つまり日本の 将来像を話し合ったと言うのである。

会議の詳細は後述するが、農業国とした場合、ソ連や中国の軍事的脅威に対できないだろう。また、日本人の勤勉性や高い知識は工業国としての発展が適している・・・という結論になったそうである。その為には、電力事業の整備・進転が急務であり、かつてインディアナ州の電力事業に関わっていたエアーズ大佐に白羽の矢が立ち、エアーズ大佐も努力を惜しまずに、日本の電力事業の再編と発展に尽くしたと聞いている。GHQに対し、悪感情を抱く日本人が居るのは、私も承知しているが、日本の発展に尽くした事も確かなのである。

多くの日本人は、今も家庭を照らす明かりが、戦後、誰の手によって整備され、これほど潤沢にもたらされるようになったのか、知らないだろうと思う。若い頃の私が見聞きし、関係したことを、ここに簡単に述べてみようと思う。









次回へ続く!






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