竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

三谷祭 黒ごま

2018年10月25日 | 三谷祭
平成30年10月26日(金)
お早うございます。

今日は「黒ごま」の由来について紹介いたします。
<黒ごま>
 かつて三谷祭の祭典期間中、宮元・松区より祭礼執行と宮入に時刻について、各区年行司宛に回状が出されました。
変わりやすい秋の天気、町民の一番の関心は、東の宮へ行く9日の天気、宮元松区の年行司は8日の宵、明9日の天気を見定め神幸の儀式を執り行う旨の触れを回状によって出す。
これを受けた各区の年行司は、一刻も早く区民に知らせようと会所(年行司宅またはお寺)に待機する青年衆に、早速区民に触れ廻るよう頼む。
この触れのことを「只今触れ」と言う。
これを受けた青年衆は”明日は晴天、黒胡麻煎れたか、弁当の支度は出来たか、出来たか”と唄い文句の合唱に笛を吹き、太鼓を打ち鳴らし、賑やかに区内を触れ廻りました。
東の宮への各家庭が持っていく弁当は、塗割り子の弁当箱に、里芋・人参・竹輪等の煮染(別名けんちんとも言う)と白米飯に黒煎り胡麻を振りかけたもので、唄い文句の中の黒胡麻とはこれをさしたもので、「只今触れ」を触れ廻ることを(黒ごま)と呼ぶようになりました。
この触れの囃子を聞いて、町の雰囲気も一段とボルテージが上がり、ご婦人方の弁当作りも精が出ました。
特に年内(昨年の祭礼以後)に婚礼のあった家は”新婚さん”として目出度いとされ、黒ごまの触れが通ると振る舞い酒や祝儀が出るのが通例でした。

祭礼の期間中、青年達は会所に禁足缶詰めで、清春のエネルギーの熱気は翌日の山車の海中曳行に向け、いやが上にも高ぶってきました。
そこで(黒ごま)の触れ廻りです。
祭典期間中は無礼講とばかり、新婚さんの家へ行くと当然のように、家の中に乱入し、酒食を強要し、新婦さんにお酒の酌のサービスを要求し、容れられなければ居座り、騒ぐ等して町の人々からひんしゅくを買うようになりました。

この事態解決に、、大正末期、町当局は、各区の区長・年行司・青年顧問及び青年団長はじめ主たる幹部を町役場に集め、次のような申し合わせをし、その実行を参加者一同に了承させた。
1、8日の夜、従来恒例の「只今触れ」(通称 黒ごま」は本年以降行わない。
2、これに伴い「お天気触れ」は宮元(松区)が号砲を打ち上げて知らせる。
この取り決めは青年団にとって、機密別途収入の途を絶たれ困惑した。
ある区の青年団幹部に知恵者がいて曰く、「何を意気消沈しているのだ。町は何と言った。黒ごまはやってはいかん。しかし新婚さんのお祝いに行ってはいけないとは、一言も聞いてはいない。俺に任せておけ。」
それには何をおいても、それを形に表さなければならないと、有り合わせの品々を工夫して、文才豊かな名文句?祝詞(のりと?)をしたため俄か仕立ての大禰宜、小禰宜は大勢のお供を引き連れ、笛・太鼓も賑やかに

「何でも今年は豊年じゃ、〇〇さんがお嫁さんをもらたとせ」

と目指す家へ練り込んで参りました。
これを見た他区の青年達が抗議に押し寄せました。
「俺たちはお祝いには来たけれど、黒ごまにきたのではない。文句を言うなら見てから言え。」
堂々とその家に入り、新婿・新嫁を正面に据え、金銀の御幣を持たせ、形通りの小禰宜によるお祓い、
大禰宜による名文(迷文)なる祝詞奏上、最後に伊勢音頭による祝いの唄で
”何でも今年は豊年じゃ”と引き上げました。
勿論、ご神酒とお礼の収納は抜かりありませんでした。
これを目の当りに見た他区の青年達は、感心するやら考え込み、翌年よりこれに倣って新婚家庭を訪れる、新形式の「黒ごま」が各区で行われるようになりました。

私の娘が結婚をいたしまして「黒ごま」を行いましたので紹介させていただきます。











青年衆の皆さんありがとうございました。




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