昨日の続き。
自転車を公園に停めて、じっくり散策するのは面白い。
昔ながらの仏具屋さん。
古い軽バン発見。
三菱の車ですかね?
妙蓮寺さんにお参り。
初めてお参りさせてもらいます。
本堂。
HPには以下のように書いてあった。
日像聖人脱履の道場。
妙蓮寺は、日蓮大聖人より京都布教のご遺言を託された日像聖人が入洛し、初めて草履を脱いだ道場です。
塔頭に「現在日本唯一の大手水鉢」。
もともと山口県岩国あったものが転々としてこちらに置かれた。
重量は約1.6トン。
連なる塔頭にはこじんまりとした通路があり風情がある。
奥の墓所に赤穂義士遺髪墓があると案内板に書いてあったので行ってみましたけど、わかりませんでした。
紫陽花の通路の雰囲気がいい。
通路にお地蔵さんがおられました。
妙蓮寺さんから堀川通りを越えて百々橋礎石。
少し広い公園のようになっている。
表千家不審菴。
風情がある道ですが、両側に警備している方や、お茶関係の人が立っていて、ピリッとした感じがある。
この道を通ると、左側の本法寺さんに逃げたくなる。
公園に戻って帰宅。
歩数は4千歩。
まあ、行き帰りが自転車なので、いい運動になったかも。
山口県岩国あったものが転々としてこちらに置かれた。重量は約1.6トン。』
むかしむかし・・・どのようにして運んで来られたのでしょう?
大阪城・城壁の大きな岩のような石も
瀬戸内から船で積みだされても、陸にしかも大阪城迄も?
昔は城の周りは海だったのでしょうか?
『重量は約1.6トン」の手水鉢もどのように運搬されたのか
何処かのテレビで番組にて教えて頂きたいです。
(過去に放送あったかも?)
どうも私の勘違いで、調べると岩国藩が廃藩になったとき、京都に居を移されて、お抱えの倉庫番であった玉龍院の檀家佐野家も京都に移り住み、その邸宅にあった大手水鉢です。手水鉢は左京区白川産で、その後、手水鉢は大阪に移された後、この地に置かれたらしいです。
それにしても京都~大阪~京都と、本当にどうやって運んだのか不思議ですね。
重機のない時代に人力で