アルトワークス5AGSの車検前無料点検の案内が9月頃に来ましたけど、仕事が忙しく行けない状況だった。
やっと点検に出せる日がきたと思ったら、もう11月になってしまった。
まあ、無料なので行ってみますかと、西陣のスズキに持っていった。
高野のスズキさんは耐震工事中で点検整備は西陣さん。
点検時間は40分ほどと聞いて西陣周りを散策することにした。
地図を見るとスズキさんの裏手に観世稲荷社があるのを発見。
大宮通りを探すと入り口がありました。
ただ、小学校の敷地内にあるようで、セキュリティのため門には鍵が掛かっていて入れなかった。
向こうに見える鳥居を見ながら、このあたりから手を合わせた。
kanze.netさんより↓
この土地はもと観世家の屋敷地で、伝えによれば室町幕府の三代将軍足利義満から大和猿楽の観世(結崎)三郎清次こと観阿弥(世阿弥の父)が拝領したものと言われ、九世観世大夫黒雪まで住んでいた。
現在も観世町という地名もあり、西陣中央小学校の隣接地にある。
観世稲荷社は往時観世家の鎮守社として祀られ、祭神は一足稲荷大明神と観世龍王である。
帯屋さんの暖簾。
染め物工場の煙突。
首途(かどで)八幡宮さんにとうちゃこ。
左側の鳥居が八幡宮さん、右側は弁財天さんの鳥居。
手水舎でお清め。
本殿。
nishijin.netさんより↓
大内裏の北東に位置するため王城鎮護の神とされ、もとの名を「内野八幡宮」という。
宇佐八幡宮を勧請したのが始まり伝えられ、誉田別尊(応神天皇)・比賣大神・息長帯姫命(神功皇后)をまつる。
かつてこの地に金売吉次の屋敷があったと伝えられ、源義経が奥州平泉に赴くに際し、道中の安全を祈願して出立したといわれる。
「首途(かどで)」とは、「出発」の意味で、以来この由緒により「首途八幡宮」と呼ばれるようになった。この故事により、特に旅立ち、旅行の安全の信仰を集める。
御朱印をいただこうとすると、御朱印やお守りが入れてある箱には、「御初穂料300円は賽銭箱に入れてください」と書いてあった。
300円を賽銭箱に入れて御朱印をいただいた。
日付は家に帰ってから筆で書くことにした。
絵馬。
弁財天様。
時間がまだあったため、周辺を散策。
珍しく模型屋さんがあった。
ただ、療養中で当分休ませていただきますと貼札があった。
上立売通りを歩いた。
古い町名看板があった。
町名の下には消えかかった「ナショナル ラヂオ」と書いてある。
古い長屋のところもある。
紅殻格子の家もある。
やっぱりありましたよ仁丹看板。
不思議な店もある。
ほぼかすれて読めない町名看板。
フジイダイマルさん。
今度、街なかで町名看板探しでも始めますか。
こういった町の米屋さんはカブが基本みたい。
似合います。
また古い長屋発見。
路地を通りながら今出川通りに出て鶴屋吉信さん。
伝統の味「京観世」には以下のように書いてあった。
鶴屋吉信本店からほど近いところに、
能楽の家元・観世家の鎮守である観世稲荷が祀られています。
その神社の井戸「観世井」にはこんな言い伝えが。
「天から龍が舞い降りて以来、井戸の水が常に揺れ動いて美しい波紋を描くようになった」。
菓子の意匠は、その優美な伝説を今に伝えています。
なるほど、入ることはできなかったけど、最初にお参りしようとしていた観世稲荷さんと繋がっていたんだ。
お土産を買って、車を受け取りに行って帰宅。
やっと点検に出せる日がきたと思ったら、もう11月になってしまった。
まあ、無料なので行ってみますかと、西陣のスズキに持っていった。
高野のスズキさんは耐震工事中で点検整備は西陣さん。
点検時間は40分ほどと聞いて西陣周りを散策することにした。
地図を見るとスズキさんの裏手に観世稲荷社があるのを発見。
大宮通りを探すと入り口がありました。
ただ、小学校の敷地内にあるようで、セキュリティのため門には鍵が掛かっていて入れなかった。
向こうに見える鳥居を見ながら、このあたりから手を合わせた。
kanze.netさんより↓
この土地はもと観世家の屋敷地で、伝えによれば室町幕府の三代将軍足利義満から大和猿楽の観世(結崎)三郎清次こと観阿弥(世阿弥の父)が拝領したものと言われ、九世観世大夫黒雪まで住んでいた。
現在も観世町という地名もあり、西陣中央小学校の隣接地にある。
観世稲荷社は往時観世家の鎮守社として祀られ、祭神は一足稲荷大明神と観世龍王である。
帯屋さんの暖簾。
染め物工場の煙突。
首途(かどで)八幡宮さんにとうちゃこ。
左側の鳥居が八幡宮さん、右側は弁財天さんの鳥居。
手水舎でお清め。
本殿。
nishijin.netさんより↓
大内裏の北東に位置するため王城鎮護の神とされ、もとの名を「内野八幡宮」という。
宇佐八幡宮を勧請したのが始まり伝えられ、誉田別尊(応神天皇)・比賣大神・息長帯姫命(神功皇后)をまつる。
かつてこの地に金売吉次の屋敷があったと伝えられ、源義経が奥州平泉に赴くに際し、道中の安全を祈願して出立したといわれる。
「首途(かどで)」とは、「出発」の意味で、以来この由緒により「首途八幡宮」と呼ばれるようになった。この故事により、特に旅立ち、旅行の安全の信仰を集める。
御朱印をいただこうとすると、御朱印やお守りが入れてある箱には、「御初穂料300円は賽銭箱に入れてください」と書いてあった。
300円を賽銭箱に入れて御朱印をいただいた。
日付は家に帰ってから筆で書くことにした。
絵馬。
弁財天様。
時間がまだあったため、周辺を散策。
珍しく模型屋さんがあった。
ただ、療養中で当分休ませていただきますと貼札があった。
上立売通りを歩いた。
古い町名看板があった。
町名の下には消えかかった「ナショナル ラヂオ」と書いてある。
古い長屋のところもある。
紅殻格子の家もある。
やっぱりありましたよ仁丹看板。
不思議な店もある。
ほぼかすれて読めない町名看板。
フジイダイマルさん。
今度、街なかで町名看板探しでも始めますか。
こういった町の米屋さんはカブが基本みたい。
似合います。
また古い長屋発見。
路地を通りながら今出川通りに出て鶴屋吉信さん。
伝統の味「京観世」には以下のように書いてあった。
鶴屋吉信本店からほど近いところに、
能楽の家元・観世家の鎮守である観世稲荷が祀られています。
その神社の井戸「観世井」にはこんな言い伝えが。
「天から龍が舞い降りて以来、井戸の水が常に揺れ動いて美しい波紋を描くようになった」。
菓子の意匠は、その優美な伝説を今に伝えています。
なるほど、入ることはできなかったけど、最初にお参りしようとしていた観世稲荷さんと繋がっていたんだ。
お土産を買って、車を受け取りに行って帰宅。
時雨ありの金曜日です。
北海道内の峠超えは・・・雪かミゾレになったようですよ。
さてと「鶴屋吉信」店舗より前の写真で茶色の土の容器?は
何に使用されていたのでしょう?
北海道のわが家にも同じ形の壷?容器が庭に置かれてます
気になりますが、ポパイに訪ねた事なし
お教え願いますでしょうか。
あの壺は何なのかわからないんです。
軒先に綺麗に並べてあったので撮ってみました。
染物屋さんのものか焼酎用の壺なのか?検索しても出てきません。
よく似たものとして、常滑 焼酎醸造壺というのがありました。
でも謎ですね。