from Los Angeles 世界を飛び周る美容人 Season 1

日本を飛び出して Los Agelesで26年、、 美容人、SeyfertUSA 山田 実の日々

日系老人ホームその2

2007-03-21 | Weblog
私たちの行っている、3ヶ所の日系老人ホームの内、2ヶ所はリタイアして間もない人たちが入る所で、口も体も達者です。

もう1ヶ所は、もうほとんど体も動かず、しゃべる事もできないような方たちがほとんどです。

手がかかるから厄介払いのような形でホームに入れられている感じが全くしない場所です。

年がら年中、子供や孫が会いにきます。ホームの中で快適に暮らせているかどうか、身内は常にチェックします。

朝ホームに行くと、10人くらいの人たちが車椅子にのってヘアーカットの順番を並んで待っています。本人にはその意識はありませんが。。

2-3人の美容師さんで、30人くらいヘアーカットします。

車椅子から降りることなく暮らして、しゃべる事も聞く事もできないおばあちゃんがいます。80歳くらいでしょうか。意思の疎通はまったくできません。

手を見ると体に似合わないグローブのような手でした。

付き添いのホームのスタッフが、「毎日、5人お子さんが出勤前か帰宅途中に必ず会いに来るんですよ。このおばあちゃんは幸せだと思いますよ」

そのおばあちゃんの手と、スタッフの話を聞いて、私が渡米して20年間、沢山の日系1世の人から聞いたストーリーがよみがえりました。


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戦後、日本は明日の食べる事もままならない状況でした。

アメリカに行けば、仕事がもらえて人並みに生活していけるかもしれないという事を人伝えに聞きました。

藁にもすがる思いで、一発奮起して家族を連れて、日本を捨てて船で1ヶ月かけて渡米しました。

情報では、米や野菜などを作れる農場を政府から提供してくれるという話でした。

しかし、提供された場所は、石ころだらけのとても農作物が耕せるものではありませんでした。

途方にくれましたがもう日本に戻る事はできません。

畑を耕す機械や道具もありません。

極貧生活で子供を育てながら、自分の素手だけでで3年かけて土を掘り起こし、ならしての農作物ができる状態までしました。

その後も懸命に働きました。

子供には良い教育を受けさせたい。アメリカで立派に生活できるようにしてあげたい。

子供は素直で勤勉でした。そんな思いで苦しいながら皆大学までいけるようになりました。

今、子供たちは弁護士、医者、教育者になっています。

そして、子供たちは親の大変な姿を見て育ち、今の自分たちがあるのはグローブのような手になっても畑を耕し続けた親、そして日系移民の歴史の始まりにプライドを持っています。

それは孫の代まで語り継がれます。

日系人、日本人は我慢強く、文句を言わず、勤勉であり、今までもこれからもアメリカにおいての地位を確立していく事でしょう。


<Photo> NewYork マンハッタン