ねぎやんのしま人のたわごとパ-ト2

視覚障碍者、ねっしーのあれこれ日記・・・

夏はいずこへ

2024-03-08 16:54:05 | 日記

若かりし頃を思い出すことが多い私なんですが、

ふと、最後に行った海水浴はいつだっけ?

思い出そうとしますが、昔過ぎてなかなかはっきりとは

出てきませんでした。

毎日日記を書いているのですが、当然そんな昔は

書いていません。

しかし、PCを初めてすぐに、デジタル日記なるソフトを使い始めて

それからずっと書いています。

その際に、昔のことも覚えている範囲で記載するようにしていました。

そうすることによって、昔のことを忘れずに

今でも思い出にふけることも可能ですし、

なにより楽しいです。

さて、その最後に行った海水浴は?

調べましたら、1986年の夏でした。

私がまだ23歳の時、この年は3回行きましたね。

しかし、それからピタッっと

いかなくなりました。

で、翌年は、海ではなく山へ2度ほど行ってました。

それ以降も山は行きますが、海へは全然・・・

なんでかなあ?

そう言えば、夏の太陽がまぶしく感じたのも

23歳までで、24歳以降の夏の太陽は、あまり記憶に残っていません。

それどころか、どんどん夏の太陽が嫌いになっていきました。

多分、海へ行かなくなったのも、そういうことなのかな?

海へ疲れを癒しに・・・ん~、ピンと来ませんねえ、

山へは気分リフレッシュに!

けっこうピンと来ます。

私も今年で62歳、ずいぶん遠くまで来たなあ

途方もない月日の積み重ねでここまで来ましたけど、

鏡で自分の顔を見ると

やっぱり時間は過ぎているということを

思い知らされます。

30代はと言うと、冬場に海に行くようになりました。

理由は、南の星座がよく見えるから(あくまで東京とか千葉の話ですが)。

若いころとはまったく違う見え方をする海がそこにはあります。

でもね、ふと思ったのですよ。

60代だからって、すべてが老いたわけではありません。

記憶はリフレッシュされていますね、間違いなく。

物忘れで、書き換えられているとも言う?!('◇')ゞ

この写真を見ながら、青春と呼べるかは分かりませんが、

最後の夏の私の記憶の中の写真(”の”が多い)

当時乗っていた車、海水浴へ行く途中で撮ったもの。

 

↓まさに、23歳で、日焼けした顔で写っていますね。

しかも痩せています( ;∀;)

 

遠い記憶は、デジタルではなく、アナログ(写真)で残したいですね(^^♪

潮の香りがしてきます。

 

 

追記:書いていて思ったのですが、幼稚園(保育園)から小学校、中学校、高校、大学と言うのが一応は日本の学業なる時間なんですけれども、この時間をストレートに通り過ぎると卒業時は22歳なんですね。

一浪で23歳('◇')ゞ

こう見ても(こじつけですが)、22~23歳が学生と大人の境界線、太陽がまぶしいと感じる境界線なのかもしれませんね。

※中学生の時、家庭教師の先生が一浪で卒業時23歳だったのを思い出しました。私は高卒なので、もう社会人5年生でしたが。


道路工事は良いけど・・・

2024-03-08 09:30:02 | 日記

昨日、いつものように家内と近所をお散歩

そうしたら、どうみても迷い込んだと思われるトラックが?!

4トン車でしたが、どうみてもこのまま進んだら糞詰まる( ゚Д゚)

そく運転手さんに駆け寄って

「このままいくと通れませんよ、引き返した方が」

運転手さんも焦っていたようです。

なんでも、いつもの道が道路工事で迂回するよう指示があり、こっちへ来てしまったと。

私も運ちゃん歴ありますので良くわかります。

わが町から幹線道路に出るには、大型車が通れる道は1本しかなく、入ってくる道は3本です。

こういった情報は地元民しか知らないので、やばくなる前に聞くのが吉なんですが、どうにもならなくなったら110番して応援を頼みましょう。

でないと大変なことになりますから。

で、問題なのは運転手ではなくって、道路工事の請負企業と行政

警備員さんもすこしは責任ありますが、現場の人はパートやアルバイトなどの所謂臨時社員さん、そんな人に言っても始まらないです。

工事を請け負った会社と認可を下した行政の責任なんですよ。

こういった道路を、工事や引っ越しなどで占有または通行止めにするような場合、道路占有または使用許可を取るのですが、その際に、なんで大型車(大きい車と言う意味)の通行迂回路を記載させないのか・・・

相変わらずこんなことやっているのかと思います。

最初に請負業者に行政が迂回図を作らせれば、あとはそれをコピーして(コピー代なんてたかが知れている)来たトラックに渡せばよいだけです。

それをトンチンカンな現場の警備員や工事の人に丸投げってどう考えても無理でしょう。

で、迷い込んだトラックはと言いますと、鬼バック(バックで長い距離を戻ること)させて、出られるところまで案内・誘導、幾度かの困難を乗り越えて無事帰還しました。

そこで終わりにしないで、即その工事現場へ行って警備員に道案内を教えてあげることに。ここから大型車が帰るにはいったん桜道を土手に出るしかない、そこから水戸街道へはトレーラーでも出られるから。

 

ところで、

最後のせまい民家の前に車が止まっていて通れないので、運転手さんがピンポーン!事情を話して無事通過、

その際、お家のおばさまが出てきて、私たちが運転手の関係者と勘違いしていたようで「私たちはs案内人ですよ」と言ったら微笑みながら「ごめんなさいね、そうだったの、ところでみかん食べない?はっさくだけどみんなうちのはおいしいって欲しがるのよ」

はい、そのミカンをもらってきました('◇')ゞ

 

 

とってもおいしかったです(^^♪

こうやってみおんなで仲良く町を運営しましょう!

そうすれば楽しくなるのに。

因みに、そのトラックは近所のスーパーにきたトラックでした。

お疲れ様です。