夕焼け金魚 

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嘘の町 金沢9(徳田秋声記念館)

2012-07-28 | 日記
東山界隈に徳田秋声記念館があります。
徳田秋声(1871~1943)は金沢市横山町、加賀藩の家老横山三左衛門の家臣徳田雲平の3男として生まれました。
尾崎紅葉に学び「藪柑子」発表以来、硯友社の四天王の一人といわれた。
地味な作風のうちに自然主義作家の代表者とみられ「新世帯」「足跡」「黴(かび)」「爛(ただれ)」「あらくれ」「仮装人物」などの代表作を発表、未完の名作「縮図」を最後に昭和18年11月18日、73歳で没しました。
徳田秋声と泉鏡花は同じ金沢の出身であり、尾崎紅葉の門下生でありながら、その文学的相違から不和になっています。
不和の原因は、鏡花が師の尾崎紅葉を神とも崇めるのに対し、秋声は距離を置こうとしたことに在るといいますが、金魚はその生い立ちも理由になっていると思います。
鏡花は職人の息子であり、秋声は貧しいとはいえ士族の息子です。
鏡花は金沢に帰ってきても、良い事はないと言って東京に帰りましたが、秋声はなにかと金沢に帰ってきたようです。明治大正の頃の金沢では、まだまだその生い立ちが評判とかに影響していたのでした。
鏡花の弟が秋声の家で死んだとき和解したと言います。
弟の葬儀の後、世話になった秋声を土産を持って訪れた鏡花は、秋声が紅葉に十分優遇されていて文句の言う筋合いの無いことや、自分の犬嫌いのことなどを巧みな話術で一席弁じるとそそくさと帰っていった。
「私は又何か軽い当身を食ったような気がした」と小説「和解」には書かれてます。
いかにも鏡花という人の性格が分かって興味深いが、秋声もここでこれを書かなくてもいいのではとの感じもします。
「菊見」では母の葬儀に金沢に帰るが、「一日も早く開放されることを願」ったり、「町の踊り場」では姉の葬儀に帰った時に尾張町のダンス場で踊り、爽快な気分になって、「甘い眠り」についている。
夏目漱石からは「フィロソフィーがない」と不満を言われ、徳富蘆花からは「秋声君は叩き大工から仕上げた人だから巧い」と皮肉られたという。
正宗白鳥が彼の晩年の作品を酷評したのに対して「老人が生活のために書いているのだから仕事の邪魔をしないでくれ」と開き直っている。
また、仮装人物を執筆する直前には「小説を書きたいからああいう恋愛もする」と言ったとも言う。なんとも言いようのない人のようです。


徳田秋声記念館では現在「正宗白鳥 自然主義文学盛衰史」という展示を行っています。
「時に激しくぶつかり、時に静かに支え合った白鳥と秋聲、二人の交流のさまを、徳田家に残る30通余の書簡からご紹介します」とありますから、晩年のけんかの様子も展示してあるのでしょうか?

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