背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

名優ルイ・ジューヴェ

2005年10月31日 04時35分54秒 | フランス映画
 フランス映画史上、ルイ・ジューヴェほど強烈な個性を発揮した男優はいなかった。あの大げさな演技といい、時代がかったセリフ回しといい、あくの強さでは昔も今も彼に並ぶ者は誰もいないのではないかとさえ思う。
 ジューヴェの映画での演技をどう評価したらよいのか、私は解釈に苦しむことがある。というのも、フランスの映画俳優ではジャン・ギャバンが私はいちばん好きなのだが、ギャバンはわざとらしい演技は一切しない俳優だった。常に自然体で、役柄にぴったりはまり、しかも存在感があった。ジューヴェはある意味で、ギャバンの対極にあった。舞台俳優としての才能を思う存分発揮し、自分流に役柄を作り上げた。ジューヴェは与えられた役を自家薬籠中のものにして、徹底的に演じた。まさに鬼気迫る演技で、ジューヴェここにありといった存在感が常にあった。
 ルイ・ジューヴェの出演した映画で私が二度以上見ている作品は、「北ホテル」と「旅路の果て」と「舞踏会の手帖」である。とくに前の二作は、もしルイ・ジューヴェが出ていなかったら、魅力が半減するかと思う。それほどジューヴェの個性が輝いていた。マルセル・カルネ監督作品の「北ホテル」では、娼婦役のアレルッティとそのヒモ役のルイ・ジューヴェの競演(共演ではなく)が最高に素晴らしい。アルレッティは鉄火肌の姉御ぶりと年増女の哀しさという両面を見事に演じ、一方ジューヴェは口数少なく虚無的なのだが、悪びれているようでそれでも純情さと生真面目さを失わない男をこれまた見事に演じていた。ヒモのジューヴェは命を救ってやった可愛らしいアナベラに恋をするのだが、この二人のシーンも見ものだった。夜のベンチでアナベラに自分の過去と恋心を打ち明け、逃避行に誘う。デートの場面ではアナベラに愛の告白を迫られ、ジューヴェがタジタジになってしまうのだ。
 「旅路の果て」では、「北ホテル」の寡黙なヒモ役とはがらっと変わり、往年の名俳優役を朗々と演じる。このルイ・ジューヴェは饒舌で、老女優に歯の浮くようなお世辞を言ったり、カフェの若い女給をたらし込んだり、初老の貫禄ある魅力的な男ぶりだった。「旅路の果て」という映画は、引退した俳優たちの老人ホームを描いたもので、監督ジュリアン・デュヴィヴィエのペシミズムが色濃く漂う悲しい作品だった。「舞踏会の手帖」では、ルイ・ジューヴェは犯罪者役で、訪ねて来た昔の恋人マリー・ベルと過去の夢を語り合い、ヴェルレーヌの詩を朗誦する。この映画では、ちょい役だったが、それでもジューヴェは強烈な印象を残していた。
 ルイ・ジューヴェの何がすごいのかと私は考えてみることがある。やはり、あのギョロッとした目がすごいのだと思う。「眼技」という言葉があるが、ジューヴェは目で演技できる俳優なのだ。中空に視線を向ければ、思索的な表情にも虚無的な表情にもなる。視線を相手役の人間に向ければ、何かを洞察した表情にも自分の真意を伝える表情にも変わる。セリフを言う抑揚も速度も変幻自在だが、ジューヴェの目の動きは特別なのである。ヘビににらまれたカエルというが、ジューヴェに画面の向こうから視線を向けられると、観客は有無を言わせず引き付けられてしまう。ジャン・ギャバンの目は慈愛に満ちた目だが、ジュヴェの目は冷徹で、人を魔界に誘う目とでも言い表すことができるかもしれない。
<「北ホテル」でアナベラとジューヴェ>

美しきダニエル・ダリュー

2005年10月30日 23時47分46秒 | フランス映画
 フランスの古い女優のことでも書いてみようかと思う。日本でいうなら、明治・大正生まれの女優だが、私の場合、日本人の古い女優にはどうしても感情移入できない。つまり昔の映画を見ても若い頃の女優に惚れることができない。それが、欧米の女優だと話が違う。戦前の古い名画でも、美しい女優が出ていると、私はうっとりと見とれてしまう。
 ダニエル・ダリューは、そんな女優の一人である。フランスで最も長い経歴を持つ女優で、日本の田中絹代みたいな存在である。顔かたちはどちらかと言うと高峰秀子に似ている。ダニエル・ダリューは1917年生まれで、14歳でデヴューしたという。戦前すでにトップ・スターだった。戦後もずっと活躍し、今も現役で映画に出演している。これほどの女優は、もう彼女のほかはいない、と言ってよい。近年は話題作「8人の女たち」にカトリーヌ・ドゥヌーヴやエマニュエル・ベアールと出演して、その健在ぶりを示したという。大したものだ。実をいうと私はこの映画をまだ見ていない。ドゥヌーヴの変わりようが恐くて見られないのだ。「8人の女たち」でいちばん年寄りの女を演じた女優がダニエル・ダリューだったとのこと。この映画を見られた方はご存知かと思う。
 私が初めて見たダニエル・ダリューの映画は「うたかたの恋」(1935年製作、原題「マイヤリング」)だった。20年以上前にテレビで見て、そのときなんと可愛らしい女性なのかと思った。オーストリアの皇太子が銀行家の娘と恋に落ち、マイヤリングという場所で心中する話で、悲恋ものの名作だった。この娘を演じたのが当時芳紀17歳のダニエル・ダリューで、皇太子役がシャルル・ボワイエだった。これは実際にあった有名な事件で、これについて書かれた著書も多く、何度か映画化されたそうだ。私はこれより先にリメイク版の「うたかたの恋」(カトリーヌ・ドゥヌーヴとオマー・シャリフ主演)を映画館で見たのだが、このリメイク版には失望していた。とくに主演のドゥヌーヴに落胆したのだった。しかし、旧作「うたかたの恋」のダリューは、段違いに素晴らしかった。シャルル・ボワイエそっちのけで、私はダリューばかり見ていた覚えがある。「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンを見たときと似たような体験だった。
 ダニエル・ダリューは、小顔美人で、少し白痴美的なところがある。まず、驚いたときの放心した表情がなんともいえず可愛い。たとえて言えば、鳩が豆鉄砲でも食らった表情とでも言おうか。目はぱっちりしているが、目尻は少し垂れている。鼻筋はなだらかですーっと通っている。そして、口元が愛くるしい。いわゆるおちょぼ口で、フランス語を話すときの表情がまた良いのだ。声も可愛らしい。
 といったわけで、以来ダニエル・ダリューの出演した映画は努めて見てきた。彼女こそフランスの代表的美女である、と私はずっと思っている。


栗原小巻とコマキスト

2005年10月27日 02時41分58秒 | 日本映画
 女優の栗原小巻といえば、ひと昔前、絶大の人気を誇っていた。吉永小百合の熱烈なファンは「サユリスト」と言ったのに対し、栗原小巻の熱烈なファンは「コマキスト」と言った。男のファンが自分のことを人前で「僕はコマキストだ!」などと公言して憚らなかったのだから、今にして思えば気持ちの悪い話だ。が、その頃は誰も恥ずかしさなど感じなかったようだ。
 栗原小巻は、吉永小百合と同い年(1945年生まれ)だったが、子役から始めた吉永とは違い、ずいぶん遅れてデヴューした。60年代後半のことで、確かテレビで一躍人気が上昇したように思う。私が覚えているのは、司馬遼太郎の歴史小説のテレビドラマで、確か「十一番目の志士」だったと思うが、加藤剛と共演した時の栗原小巻だった。その時の彼女の熱演ぶりを見て、純粋そうでイイ女だなーと感心した。しかし、好きな女優のリストに入れはしたものの、正直言って私はコマキストを自称するまでには至らなかった。実はその頃私は、同時期にデビューした新藤恵美のファンだった。これもテレビなのだが、竹脇無我が主演した「姿三四郎」で新藤恵美は三四郎の恋人役をやっていて、その可憐で一途なつつましさにメロメロに惚れていた。後年、事もあろうにその新藤恵美が、大胆なヌード集を出したり、ポルノ映画に出演したりしたのだ。いや、これにはまったく失望した。
 話がわき道にそれてしまった。栗原小巻の映画について書こうと思う。私のなかで彼女の代表作といえば、「忍ぶ川」(1972年)と「サンダカン八番娼館、望郷」(1974年)である。どちらも熊井啓監督の名作だが、前者は極上の純愛映画だった。そして、当時最大の話題作だった。なぜ話題になったかといえば、あの栗原小巻が全裸になったというからだ。「コマキスト」たちの驚きたるや推して知るべし、見てはいけないものを見たいとばかり、みんな映画館に詰め寄せたのだった。私も映画館へ行った。確か浪人の頃だった。今か今かと固唾を飲んで見ていた覚えがある。
 「忍ぶ川」は、暗い白黒映画で、東京に下宿している苦学生(加藤剛)が、飲み屋で働く若い娘(栗原小巻)に惚れて、そこに通いつめ、ついに彼女を射止める話だった。問題の全裸シーンというのは、郷里で古風な結婚式を挙げたその初夜の場面だった。真冬の凍てつくような田舎家の古い日本間で、愛し合う二人が寝床を共にする。そして、氷をも融かす熱さで抱擁する。ロマンスの極致でのヌードなのだ。これなら許せる。栗原小巻の女優魂に対し、詰め掛けたコマキストはみな脱帽して映画館を後にしたことは言うまでもない。

蔵原惟繕の「春の鐘」

2005年10月26日 17時16分31秒 | 日本映画
 立原正秋の小説は映画化されることがまれだった。在日朝鮮人でありながら、立原ほど一途に古き日本人の情念や美意識を描いた作家はいなかったのに、他の作家に比べ映画化された作品が少なかった。それはなぜだか分からない。立原自身が作品の映画化を拒んだのか、それとも彼の退廃的な滅びの美学は映画化するのが困難だったのだろうか。立原正秋は昭和55年、多くの熱烈な愛読者に惜しまれ、54歳の若さで死んだ。
「春の鐘」は、立原正秋の死後、彼の長編小説を、久しぶりに映画化した作品だった。監督は蔵原惟繕(これよし)。「南極物語」の大ヒットで一躍有名になった映画監督だが、もともと日活黄金時代に石原裕次郎や浅丘ルリ子の映画を手がけ、男女の情愛を描くことにかけては鬼才と呼ばれた監督である。「春の鐘」は、蔵原が「南極物語」の酷寒のロケから帰還後、動物と自然といったテーマから一転し、彼の本領ともいえる人間の男女の愛欲の世界を描いた秀作だった。私はこの映画を十年ほど前ビデオで見て、いたく感動した覚えがある。また見たいと思っているが、ビデオをどこで借りたかも忘れてしまい、見られない状態が続いている。まだDVDにもなっていないようだ。
 「春の鐘」は、古都奈良を舞台に、美術館の館長(北大路欣也)と陶芸家の出戻り娘(古手川裕子)のひた向きな恋愛を描いた映画である。この中年男の館長は、東京に妻子を残し、単身赴任で奈良に来ている。が、妻(三田佳子)との関係は冷え切っていた。妻は得られない愛の渇きから、つい医者と不倫をしてしまう。中年男はそれに気づいてはいるが、離婚は考えず、美術館の仕事に一層専念した。そんなある日、旧知の陶芸家(岡田英次)の仕事場を訪ね、彼の娘と運命的な再会をする。幼い時分に見たことがある女の子が、驚くばかりの美しい女になっていたのだ。離婚したばかりで実家に出戻ってきたのだという。知り合いの娘の不幸に同情して、というのは表向きの理由で、実はこの娘に心惹かれて、中年男は彼女を自分の美術館に勤めさせる……。
 うろ覚えのあらすじを書くことはやめよう。安直なメロドラマみたいに思われてしまうからだ。この映画は、男女の移ろいやすい愛とその宿命を、滅びゆく日本の美しい情景のなかで描き切った類まれな作品だといえる。中年男の燃えくすぶっていた恋情のとめどない発露、妻の夫に対する未練と別れ際の修羅場のすさまじさ、否応なく女と別れた男の愚かなまでの執着など、男と女のどろどろした愛欲の世界を、無常観漂う古都の美しく静かな営みの中で、いわば俯瞰的に描いていた。そこが素晴らしく、感動せずにはいられなかったのだろう。
 蔵原惟繕は、映画人生最後の執念を賭けて「春の鐘」を作った。その蔵原も今はない。彼の死が報道されたのは、平成15年の正月のことだった。百八つの煩悩の鐘が鳴る、あの年の暮れを迎えることもなく、この世からひっそり去っていた。
<立原正秋「春の鐘」>


映画監督今村昌平

2005年10月24日 00時19分00秒 | 日本映画
 今村昌平は、かつて私が最も傾倒していた映画監督だった。彼は70歳を超えた今でも健在だが、昭和30年代後半から40年代半ばにかけて非常に精力的に映画を作っていた。ちょうど日本が高度成長期にあった時代、今村昌平は次々と話題作を発表していた。「にあんちゃん」「豚と軍艦」「赤い殺意」「日本昆虫記」「人間蒸発」「エロ事師たち」「神々の深き欲望」といった作品群である。
 私がリアル・タイムで見た今村昌平の映画は「人間蒸発」からで、それ以前の映画はリバイバル上映で見た。今はなくなってしまったが、銀座に並木座という古き良き映画館があって、毎週日本映画の名作を上映していた。私が高校生から浪人を経て大学生までの時代には、この並木座によく通った。小津安二郎や黒澤明の古い映画だけでなく、今村昌平や大島渚の映画も上映することがあり、大概の評判作はここで見ることができた。今にして思うとなんと幸せだったことか。
 今村昌平の映画はどの作品を見てもスゴイと思った。現代に生きる日本人を土着性まで掘り下げて描くその力強さに圧倒された。映画作家としてのバイタリティ、表現への執念が桁外れだった。今村の映画は映像美や様式美といった世界とは無縁で、あくまでも泥臭く生々しい。人間の生き様を社会にうごめく動物のように描いた。実際、画面に豚の大群やアリの巣を登場させた。今村の映画が描く人間たちは思想やイデオロギーによって生きているのではなかった。これは政治思想やプロパガンダで踊らされる人々が多かった時代に突きつけた重大なアンチテーゼであった。今村は現代社会の底辺で生きる人々を好んで取り上げ、彼らの行動原理が抽象的な思想や既成の法律ではないことを暴いた。彼らの生活行動を支配しているのは性欲や食欲といった生存本能であり、それを社会的に統制しているのは共同体意識や根深い土着信仰であった。それが今村の追い求めたテーマだった。このテーマは、初期の諸作から秀作「赤い殺意」「日本昆虫記」を経て「神々の深き欲望」まで一貫して続いた。
 70年代以降、今村の映画は明らかに変わった。急に衰えて行ったように思う。私は、連続殺人を冷徹に描いた「復讐するは我にあり」が今村の最後の傑作だと思っている。原爆を扱った「黒い雨」は表現への執念を感じない静かな映画だったし、「ええじゃないか」や「女衒」はもう現代的な問題提起が感じられなかった。今村はカンヌ映画祭の金賞を二度取っているが、「楢山節考」を見て私は失望した。「うなぎ」は途中で見るのをやめた。今村の古い映画はまた見たいと思うが、残念ながらこれらの映画は二度と見ようとは思わない。しかし、今村昌平が日本映画史に残した偉大な足跡は是非今後も語り継いでいきたいと思っている。
<赤い殺意>