背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

『充たされた生活』

2013年10月30日 22時39分23秒 | 日本映画
 10月27日(日)、ラピュタ阿佐ヶ谷で『充たされた生活』を観てきた。監督羽仁進、主演有馬稲子。共演は、アイ・ジョージ、田村高廣、原田甲子郎、山本豊三、佐々木すみ江ほか。
 内容は、タイトルとは逆に「充たされない生活」といったもの。結婚三年でキャメラマンの夫と別れた二十代後半の美しい女が、以前に入っていた劇団に復帰し、安アパートで一人暮らしをしながら、第二の人生を歩み始めるといったストーリー。既成のドラマチックな構成をとらず、一貫してドキュメンタリータッチで、明らかにフランスのヌーベルヴァーグに影響されて撮ったと感じられる映画であった。観る前はそれほと期待していなかったが、予想以上に興味深く観ることができた。
 前半は面白かった。有馬稲子とアイ・ジョージの、これが夫婦なのかと思うような不思議な関係に惹き付けられた。とくに、すぐにシャツを脱いで上半身の筋肉を見せたがる小男のアイ・ジョージが良く、妻の有馬にとってはセックスパートナーにすぎない男なのだが、下手なウソをついたり、ホラを吹いたり、可愛げがあって憎めないのだ。別れ際に女に未練を残し、駅のホームでいじいじしているところなどは憐れっぽい。この映画には犬がたくさん登場するが、彼はあちこちで浮気をしている野良犬の雄のようなのだ。彼が有馬と別れてしばらくしてから有馬の安アパートを探し当て、ぶらっと訪ねて来る場面もユニークで良かった。
 それに対し後半は、陳腐に感じた。演出家の中年男(原田甲子郎)が胡散臭く、安保反対闘争で自己欺瞞を感じ、真剣に悩んでいる男にはとても思えなかった。ラストは、この演出家と結ばれ、なーんだという感じだった。後半は、食い足りなさをところどころに感じた。有馬稲子はこれで精一杯なのだろう。今までの有馬稲子のイメージを壊すような大胆な演技も見せていたが、あと一歩吹っ切れていないなというのが正直な感想。激しい心の揺れ動きが見えず、ちょっと常識的すぎる女になっていたので、行動に魅力を感じなかったのである。有馬稲子に左幸子のような演技を求めても無理な話であろう。監督の羽仁進も遠慮したというか、演出の生ぬるさが目立った。ドキュメンタリータッチで描いたとしても、もっと濃密な描き方をしないと、生身の人間は表現されない。この映画の主題は、男と別れたあとの女の生き様を描くことなのだから、前半で欲求不満と倦怠を感じて一人になろうと決意した女をヒロインとして設定したのであれば、後半は、一人暮らしの女の欲求のはけ口とか生活費の捻出だとかをもっとリアルに描かなければならなかった。
 また、アパートの隣りの部屋に住む全学連の若者(山本豊三)や劇団の男優(田村高廣)のヒロインに対する接し方も、ありきたりで、折角登場したのになんにもないまま引っ込んでしまったのは疑問に思った。全学連の若者が頭に怪我をして、有馬稲子に包帯を巻いてもらう場面があったが、あそこでは襲いかかるくらいのことがないとダメだろう。劇団の男優も良識的な紳士では詰まらない。プロポーズして断られても、ストーカーのように追いかけ回さないと見ているほうは納得がいかない。結局、ヒロインに性的魅力がないということになって、映画の中で有馬稲子も生かせない結果に終ってしまったように思う。