背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

若尾文子をまた見たい

2005年09月30日 07時43分35秒 | 日本映画
 若尾文子の映画が見たいなーと無性に思うことがある。秋らしくなってきたせいか、最近特にそう思う。なぜだか解らないが、彼女の出演した大映映画の多くがビデオで見られないからかもしれない。見られないと思うと余計にあの顔が見たい、姿が見たい、あの声も聞きたい、といった私の願望は強くなるばかり…。
 あれだけたくさんの映画に出演したのに、多くの人に評価されるこれといった作品のない女優も珍しい。大映の映画だけで100本以上は出ているのではないだろうか。しかもどれもが主役だったと思う。ビデオが出回っていないこと(雷蔵の映画はビデオ化されているが…)にも問題があるが、名作もかなりあった気がする。私が二度以上見てはっきり印象に残っている映画を挙げると、「氷点」「赤線地帯」「浮草」「雁の寺」といったところか。溝口健二晩年の「赤線地帯」では成り上がりの娼婦役、小津安二郎晩年のカラー映画「浮草」では旅芸人の可憐な娘役だったが、どちらも若尾文子の色気があふれていた。
 吉村公三郎や増村保造が監督した作品にも数多く若尾文子は主演していたが、そのいくつかはずっと以前深夜テレビで見たような気もする。が、記憶が定かでない。谷崎潤一郎原作の「卍」「刺青」「フウテン老人日記」など、是非もう一度見たいものだ。ただ、思うに若尾文子という女優は、谷崎の耽美的な女性より、むしろ永井荷風の芸者役の方がきっと似合ったのではないか。それも田舎芸者ではなく、新橋とか向島の粋な芸者をやらせればきっとはまり役だったと思う。彼女は決してとっつきにくいタイプの美人ではなく、顔立ちは平凡で愛らしく、東京の下町のどこかにいそうな奇麗な姐さんみたいな女性だったからだ。若尾文子は東京生まれで、数少ない江戸っ子女優だった。確か川島雄三の監督作品に彼女が芸者役で出ている映画があったと思って、調べてみた。「女は二度生まれる」という映画で、これはDVDで発売されているとのこと。今度購入してじっくり見ようと思っている。

 

「男と女」のアヌク・エーメ

2005年09月29日 02時11分04秒 | フランス映画
 アヌク・エーメという変わった名前の女優を初めて見たのは、「男と女」のヒロイン役で、ちょっと年増になってからだった。端正な顔立ちだが、ずいぶん口の大きな女性だと思った。クロード・ルルーシュ監督のこの映画は、カンヌ映画祭でグランプリを取ったものの、評価の定まらない作品だった。それは今も同じである。好きな人と好きでない人が真っ二つに分かれる。私はどっちつかずな方だが、最初この映画を見たときの新鮮さは二度三度と見るたびに色あせてきたのも確かだ。名画なら何度見ても鑑賞に耐えるにちがいない。
 とはいえ、「男と女」には今でも大好きなシーンがある。ジャン・ルイ・トランティニアン(妻に先立たれた男)とアヌク・エーメ(夫に先立たれた女)が子供を学校の寄宿舎へ送って、その帰り道ホテルのレストランに立ち寄り、食事を注文するシーンだ。注文を終えて間もなく、トランティニアンがまだ注文があると言って、ガルソンをテーブルに呼び戻す。この後のセリフがカッコいい。「もう一つ注文があるんだけど…」ちょっと間を置いて、ずばっと「ユンヌ・シャンブル!」フランス語で「部屋を一つ」という意味なのだ。ここで画面は急転し、ベッド・シーンが始まる。ここからエーメの悩殺的な顔のアップがえんえんと続く。私は熟女というのが苦手で、エーメのように燃える女に迫られても困ってしまうなーと思いながらも、息を詰めて見てしまう。
 「男と女」のあと、エーメの出ている映画を時代を遡るようにして見た。フェリーニの「8・1/2」はあまりよく覚えていない。「モンパルナスの灯」のエーメはすごく良かった。ジェラール・フィリップ扮するモジリアーニの若奥さん役がエーメで、母性本能のような深い愛情ある女を見事に演じていた。つい最近アメリカでリメイクされたが、私はまだ見ていない。やはりベッケル監督の旧作の方がいいに決まっている、と思うのだ。「モンパルナス」の次に「火の接吻」を見た。エーメは情熱を内に秘めた恋する乙女役。可愛くて、実にけなげなヒロインだった。内気でおとなしそうで、思いつめたら命懸け、そんな女にエーメはぴったりだと思った。

佐久間良子、古き美しい日本の女

2005年09月28日 04時37分41秒 | 日本映画
 60年代初め、東映時代劇のブームが終わりを迎えた頃、日本美人の典型とも言える一人の女優が開花しようとしていた。その名は佐久間良子。古き美しい日本の女を演じさせたら右に出る者がいないほどの女優だった。そう私は確信している。
 「花と竜」「人生劇場」、そして水上勉原作の三作品「五番町夕霧楼」「越後つついし親知らず」「湖の琴」、どの映画も名作だが、この中での佐久間良子は最高に素晴らしかった。いや、素晴らしいと言う形容すら越えている。彼女でなければどの映画も成り立たなかったくらいに思う。
 彼女が演じるのは、明治・大正期から戦後間もない頃までの地方の女で、たとえば、北九州の港で石炭の荷揚げをして働く女、琵琶湖の近くの製糸場で糸を紡ぐ娘、北陸の寒村農家の若妻、そして京都の遊郭の娼妓などだ。彼女が演じるどの女も、しとやかで貞淑だが、匂うばかりの色気が漂っている。羞恥心と本能が体の奥で葛藤していて、女のその下腹部の火照りが伝わってくる感じ、とでも言おうか。佐久間良子はモンペの似合う女であり、赤襦袢の似合う女である。卑俗な言い方だが、男ならむらっと来て犯したくなる女!そう感じるのはきっと私だけではあるまい。日本的エロスの極致といった印象を与えるのは、「越後つついし親知らず」の中で、冬の間出稼ぎに行った夫を待つ若妻が、雪道で獣のような村の男(三国連太朗が演じている)に強姦されるシーンだ。
 佐久間良子がこれらの映画に出演した20歳代の最盛期は、ちょうど運悪く、テレビの普及によって映画の観客数が激減した時期だった。だから彼女の諸作品は見逃されてしまった。一世を風靡したチャンバラ映画と、後に東映最後の復活を狙ったヤクザ映画路線のはざ間にあって、彼女はお姫様役にもなれず、かといって暴力的なヤクザ映画には出る幕もなかった。「大奥物語」で一時脚光を浴びた後、結局佐久間良子は、藤純子に東映の看板女優の座を譲り渡し、映画界を去ることになった。一時期テレビ・ドラマに出ていたが、中年を過ぎて舞台に活躍の場を求める。そして今でも座長として主役で頑張っているが、若き日の彼女の映画はもっと評価されて良いのではないだろうか。

アメリカン・ニュー・シネマの女神

2005年09月27日 01時13分38秒 | アメリカ映画
 先日テレビのニュースでウォーレン・ビーティを見た。評判の悪いシュワルツネガーの対抗馬としてカリフォルニア州知事に立候補するらしい。ずいぶん年をとったなあと思った。
 ビーティと言えば、昔は苦みばしった二枚目俳優で、実生活でもプレイボーイでならしていた。ナタリー・ウッドと共演した名作「草原の輝き」で人気を博して以来、女性遍歴がたたってか、ずっと鳴かず飛ばずだった。が、60年代終わりに衝撃的な映画で一躍時代のヒーローとして復活した。アーサー・ペン監督の「俺たちに明日はない」のギャング役によってだ。原題は「ボニー・アンド・クライド」。大恐慌時代に実在した若い男女のギャングを描いた作品で、アメリカン・ニュー・シネマの幕開けとなった画期的な映画だった。ビーティはクライド役を格好良く見事に演じた。そして、ボニー役がフェイ・ダナウェイ。彼女はこの映画一本で一躍スターダムにのし上がった。
 思い起こせば、60年代終わりから70年代初めはアメリカン・ニュー・シネマの全盛期だった。ハリウッド映画は沈滞し、フランスのヌーヴェル・バーグは新鮮味を失いかけていた。ちょうど私の高校生時代で、人生でいちばん多く映画を見ていた頃だ。「イージー・ライダー」「卒業」「真夜中のカーボーイ」「明日に向かって撃て」……。どの映画も社会秩序からはみ出した若者を主人公にした映画だった。なかでもアウトローの破滅的な生き方を描いた傑作が「俺たちに明日はない」だった。
 当時反体制派の憧れのアメリカ女優が二人いた。いわばアメリカン・ニュー・シネマの女神ともいえる存在で、一人がフェイ・ダナウェイ、もう一人がキャサリン・ロスだった。ダナウェイは知的でたくましく、いかにも魅力的な大人の女といったタイプで、ロスは清純で可憐、守ってあげたい美少女タイプと言ったら良いか。この二人のスターは人気を二分していたが、私は欲張りなことに両方とも好きだった。「俺たち…」のほかに「華麗なる賭け」のダナウェイはすばらしかった。キャサリン・ロスはなんと言っても「卒業」で、教会の結婚式でダスティン・ホフマンに拉致される花嫁姿の彼女は今でも目に焼きついている。「明日に向かって撃て」で、バカラックのメロディーが流れる中、彼女が自転車に乗るシーンが印象深く、思い浮かべてみるだけで、年甲斐もなく胸がキュンと詰まる気持ちがこみ上げてくる。

記憶に残るジョアンナ・シムカス

2005年09月25日 15時10分43秒 | フランス映画
 彗星のように現れて消えていった女優がいる。ジョアンナ・シムカスはそんな女優の一人だった。確かカナダ出身で、元ファッション・モデルだったと思う。60年代終わりに「冒険者たち」で鮮烈なデビューを果たした後、「若草の萌えるころ」「オー!」など三、四作に出演したきりで、映画界から引退してしまう。活躍した期間はわずか3年。多くのファンは、彼女を追いかけ始めて、あっという間に姿をくらまされ、大きな失望を感じたものだった。もちろん私もそうだった。「冒険者たち」を見れば、ジョアンナ・シムカスの魅力にイチコロにならない男はあるまい。成熟した肢体、長い栗色の髪の毛、あどけない面長な美少女顔、とりわけ水着姿がたまらない。高校1年の頃、私は日比谷の映画館でこのシムカスを見て一目惚れしてしまった。
 「冒険者たち」は、美男アラン・ドロンと渋い中年男リノ・バンチュラが前衛彫刻家シムカスを誘って、宝探しの冒険に出るストーリー。一人の美女に対し親友の二人の男が思いを寄せながら話は展開していく。ロマンチックな現代版騎士道物語とでも言おうか。美しい映像のバックに流れる音楽がまた効果的で、見終わった後も耳に残って離れない。
 この映画には製作の裏話がある。監督のロベール・エンリコがシムカスに本気で惚れてしまったというのだ。監督のナマの恋愛感情が移入されたのだから、彼女が特別美しく映っているのも当然かもしれない。映画の中で彼女は中年男の方に愛を告白する。美女必ずしも美男を愛せず、というわけだ。きっとこれも監督の強い願望だったにちがいない。しかし、現実は監督の思い通りには行かなかった。シムカスはもうニ本彼の映画に付き合った後、彼を振って、黒人俳優シドニー・ポワチエのもとに走り、結婚してしまう。以後監督のエンリコは、失恋が原因なのか、ロクな映画を作っていない。