背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

映画監督今村昌平

2005年10月24日 00時19分00秒 | 日本映画
 今村昌平は、かつて私が最も傾倒していた映画監督だった。彼は70歳を超えた今でも健在だが、昭和30年代後半から40年代半ばにかけて非常に精力的に映画を作っていた。ちょうど日本が高度成長期にあった時代、今村昌平は次々と話題作を発表していた。「にあんちゃん」「豚と軍艦」「赤い殺意」「日本昆虫記」「人間蒸発」「エロ事師たち」「神々の深き欲望」といった作品群である。
 私がリアル・タイムで見た今村昌平の映画は「人間蒸発」からで、それ以前の映画はリバイバル上映で見た。今はなくなってしまったが、銀座に並木座という古き良き映画館があって、毎週日本映画の名作を上映していた。私が高校生から浪人を経て大学生までの時代には、この並木座によく通った。小津安二郎や黒澤明の古い映画だけでなく、今村昌平や大島渚の映画も上映することがあり、大概の評判作はここで見ることができた。今にして思うとなんと幸せだったことか。
 今村昌平の映画はどの作品を見てもスゴイと思った。現代に生きる日本人を土着性まで掘り下げて描くその力強さに圧倒された。映画作家としてのバイタリティ、表現への執念が桁外れだった。今村の映画は映像美や様式美といった世界とは無縁で、あくまでも泥臭く生々しい。人間の生き様を社会にうごめく動物のように描いた。実際、画面に豚の大群やアリの巣を登場させた。今村の映画が描く人間たちは思想やイデオロギーによって生きているのではなかった。これは政治思想やプロパガンダで踊らされる人々が多かった時代に突きつけた重大なアンチテーゼであった。今村は現代社会の底辺で生きる人々を好んで取り上げ、彼らの行動原理が抽象的な思想や既成の法律ではないことを暴いた。彼らの生活行動を支配しているのは性欲や食欲といった生存本能であり、それを社会的に統制しているのは共同体意識や根深い土着信仰であった。それが今村の追い求めたテーマだった。このテーマは、初期の諸作から秀作「赤い殺意」「日本昆虫記」を経て「神々の深き欲望」まで一貫して続いた。
 70年代以降、今村の映画は明らかに変わった。急に衰えて行ったように思う。私は、連続殺人を冷徹に描いた「復讐するは我にあり」が今村の最後の傑作だと思っている。原爆を扱った「黒い雨」は表現への執念を感じない静かな映画だったし、「ええじゃないか」や「女衒」はもう現代的な問題提起が感じられなかった。今村はカンヌ映画祭の金賞を二度取っているが、「楢山節考」を見て私は失望した。「うなぎ」は途中で見るのをやめた。今村の古い映画はまた見たいと思うが、残念ながらこれらの映画は二度と見ようとは思わない。しかし、今村昌平が日本映画史に残した偉大な足跡は是非今後も語り継いでいきたいと思っている。
<赤い殺意>


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