背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

『上京ものがたり』ほか

2013年07月31日 06時05分22秒 | 日本映画
 7月28日(日)、高田馬場で脚本家の石森史郎さんの誕生会に出席。82歳になって、今なお現役で映画や芝居の脚本を書かれ、小説まで書いている化け物のような人だ。石森さんの誕生会にはこの四年、毎年出席している。石森シナリオ青春塾の生徒さんと昔からのお弟子さんが主催するパーティで、私は弟子ではないが、親しくさせていただいている。この日は、石森さんの大学時代からの親友である映画監督の田口勝彦さんも出席していて、田口さんの前に私が座ったため、ずっと田口さんとお話しする。東映東京の助監督時代のことをいろいろお聞きする。二次会では漫画研究家の本間正幸さんとずっと話す。女流漫画家の上田トシコについて彼にいろいろ教えてもらう。

 7月30日(火)、岸部一徳さんの事務所のマネージャーの佐藤さんから試写会のハガキをいただいたので、今日は京橋テアトルという試写室へ行き、『上京ものがたり』という新作を見てきた。漫画家の西原理恵子の同名自伝小説の映画化で、結構面白く見ることができた。主人公の奈都美(なつみ)を演じた女優が良く、これがこの映画の一番のポイントだったと思うが、私の好みのタイプというわけではないのに、好感が持てた。主人公がほぼ出ずっぱりなので、主人公に魅力がなければこの映画は終わりだったと思う。パンフを見ると、主演女優は北乃きい。変な名前である。私は今の若い女優を五人も知らないが、彼女もこの映画で初めて見た。(宮崎あおいも満島ひかりも先日『北のカナリアたち』を見て初めて知ったくらいの無知度である)この北乃きいという女優、顔も声もデビューした頃の藤圭子にちょっと似ているなと思って、ずっと見ていた。ただし、藤圭子の方がずっと美人だったが。一生懸命、真面目に演じていたのが良かったし、ナチュラルな演技でちょっとブスになったり、とても可愛くなったりで、見飽きないで見ていられた。欲を言えば、あと一つ、愛嬌と茶目っ気があれば最高だったと思う。脇役ではダメな父親役の岸部一徳さんが京都弁でなかなかイイ味を出していた。あと、子役の女の子が大変良かった。主人公の奈都美の恋人役の男優もまずまず良かったが、これは脚本と演出上の問題で、人物としての描き方が生ぬるく、魅力に欠けていたと思う。エレベーターに乗っている掃除婦の役で原作者の西原理恵子が出て来るが、インパクトあり。
 瀬戸朝香は重要な役なのに、良くなかった。顔も演技もきつい感じで、自然な感情表現が出来ない。キャバクラに勤める子持ちの母親役としては不適格だろう。その姉の役をやった女優も演技がやや大袈裟で、見ていて疑問を感じた。主役と子役との心の交流がうまく表されていただけに、この二人のミスキャスティングが余計気になった。瀬戸朝香と姉役の女優が加わると、急にバランスが崩れ、映画が空々しくなってしまうように感じた。監督の演出力にも疑問を感じる。とくに、病院の前の道路に姉が出て来て、女の子を連れ戻すシーンがひどかった。また、瀬戸朝香が死んでも、大した感慨も起らないのは、そこまでに母の娘に対する情愛が描けていないからだろう。
 美大にいるデッサンの上手な女学生もセリフが下手で、とくに「描く描く描く」が棒読みで、もっと変化をつけて言わせなきゃダメだなと思った。
 最近の映画監督は、演出力がないというのか、これだという自分が求めるイメージがないのか、あるいは安易に妥協して役者に任せてしまうのか、もっと登場人物に即した演技というものを追求しないといけないのではないかと思う。
 『上京ものがたり』を見た後、京橋のフィルムセンターへ寄る。清水宏の特集をまだやっていたので、7時から『風の中の子供』を見る。昭和12年の作品。子供たちの生活を描いた素朴な映画だが、監督の作為が目立つところがあり、多少気になる。こういう映画を見て、感動する人もいるかもしれないが、私は子供が主人公の映画というのは、非常に難しいと思っている。もう一本『團栗と椎の実』という短篇も見る。『風の中の子供』と似たような映画。子供も大人もやや類型的で、良く言えば素朴、悪く言えば単純すぎる。
 明大前のジャズ喫茶マイルスへ寄って、ジャズを一時間ほど聴く。LPレコードを昔ながらの音響装置で聴かせてくれる都内でも稀少な場所。四十年以上前、私が浪人時代に行っていたジャズ喫茶で、今でも同じママさんがやっている店である。ウェス・モンゴメリーとウィントン・ケリー・トリオのハーフノートの実況録音盤をリクエストしてかけてもらう。



近況報告

2013年07月31日 00時17分33秒 | 雑記
 一ヶ月近く、杉並の自宅兼仕事場に引き籠っていた。いや、実を言うと、一年間ほど、ほとんどの時間、杉並の寓居で過ごしていた。一年前に私が書いたオリジナルシナリオが急に自分で気に入らなくなり、映画化する意欲が萎んでからというもの、宿願の「中村錦之助伝」の執筆にずっと専念していた。「錦之助伝」の前篇がほぼ完成して、さてこれからどうしようかと思っていた矢先。
 人との縁というものは不思議なものだ。私の映画の企画をずっと応援してくれていた落合さんという人がいて、この方はある芸能プロダクションのベテランマネージャーで、女優の星美智子さんのマネージャーでもあるのだが、この落合さんから六月初めに電話があった。私の書いたシナリオを読んで映画化に興味を持ったプロデューサーがいるので紹介しましょうという話である。
 プロデューサーと言っても映画界には有名無名、大物小物、ごまんといるから要注意だなと思いながら、6月7日(金)の夕方、渋谷の居酒屋「日本海」で落合さんからその人を紹介された。それが永井正夫さんというプロデューサーだった。永井さんは映画界に入って四十年、市川崑、今井正、篠田正浩、神山征二郎といった監督作品の助監督からプロデューサーに転向された方で、森田芳光監督のヒット作『失楽園』『武士の家計簿』のプロデュースを担当されていた。その日は、落合さんを交え、永井さんと三時間以上飲んで話したところ、再び私の企画を映画化しようという話が再燃。永井さんが前のシナリオをもっと良くすれば面白い映画になると思いますよと励ましてくれたのである。
 そこで、俄然やる気が湧いた私は、一週間かけて、シナリオを全面的に書き直した。早速永井さんに読んでもらったところ、大変褒めてくれて、これは映画になると思うからプロデューサーを引き受けましょう、シナリオを持って配給会社を回ってあげましょうとおっしゃるではないか。こうなると、私も欲が出て、さらに良くしようと思い、親しくしていただいている映画人(出演予定の石濱朗さん、映画監督の中島貞夫氏、シナリオライターの那須真知子さんほか)や私の知人(円尾敏郎さん、キャメラマンの佐藤徹君)にも読んでもらって意見を聞いて、二度三度と書き直した。
 そして、つい最近、自分でもある程度満足のいく決定稿に近いものが出来上がった。
 まだ映画化できるかどうかは分からないが、気分は晴れやかで、私もようやく隠遁生活をやめ、外に出て、あちこち行くようになったという次第である。

 7月24日(水)、横浜へ行く。渋谷の東横線の新しい駅がずっと遠くに移動してしまったので、井の頭線から乗り換えるとずいぶん歩くことになった。横浜のルミネの有隣堂で午後四時にシナリオライターの那須真知子さんと待ち合わせ。西口五番街の横浜珈琲館の二階(喫煙可)で、那須さんから私のシナリオについての感想を聞く。那須さんには第三稿あたりから四度ほど改訂稿を読んでもらったが、今度のはすっきりまとまって、一番良いと褒められる。タイトルを相談する。「ガラクタ区お宝村」がいいとのこと。五時過ぎに大学時代の友人の下里君がやって来る。しばらく喫茶店で歓談。那須さんがシナリオを書いた映画『北のカナリアたち』を見た感想を言う。去年この三人で飲んだ時、ちょうど『北のカナリアたち』が上映中で、下里君も私もまだ映画館に足を運んで見ていないと言って、那須さんを失望させた覚えがある。結局、下里君も私も封切りの時は見ないで、友人の那須さんに対しては申し訳ないと思っていて、最近DVDを借りて見てきたわけである。正直、主演の吉永小百合がどうだったのか、この映画の企画の大前提が疑問だったのではないか。これが下里君と私の共通の意見だった。下里君は穏健なので、手厳しい批判はしなかったが、私はかなり批判的な感想を述べたと思う。ただ、宮崎あおいと勝地涼が木の下で愛を確かめ合うシーンは大変良かったと言うと、那須さんもあそこは自分もとても好きだと言っていた。そのあと三人で飲みに行く。すぐ近くに「かのん」という名の洒落た飲み屋を見つける。六時ごろから十時過ぎまで四時間ほど話す。那須さんも下里君も私も同年代なので、共通の話題が多い。愛読した外国作家の話、その原作の映画のことを二時間くらい話す。モラビアの「軽蔑」とマンディアルグの「あの胸にもういちど」のことなど。
 十一時半過ぎに帰宅。

 7月26日(金)、午後三時ごろに下高井戸へ。歌人で女優の川上史津子さんからメールでお誘いがあり、アングラ劇を見に行く。今日が初日で彼女が出演するということと、水を使う芝居だという予備知識のみ。下高井戸シネマの30メートル手前に小さな地下劇場があり、六時半開場、七時開演とのこと。午後二時半に永福町の銀行で用事を済ませ、そのまま下高井戸へ行く。地下劇場の場所を確かめ、暇つぶしに下高井戸シネマで映画を見ようと思い立つ。ちょうど三時半から「ザ・マスター」という最近のアメリカ映画をやっていたので、中に入る。客は20名ほど。この映画、まったく予備知識なく見る。変な映画だった。戦争(太平洋戦争)で精神障害になった男が復員後、社会復帰できないで、深層心理療法をやっているカリスマ的な宗教家のもとに入信して、しばらく行動を共にし、最後は自立して社会復帰するというストーリー。主役の男がまるでピーター・フォーク(「刑事コロンボ」)のようだった。やや下品だったが、なかなかの熱演。深層心理学者の中年男の方は、ミスキャストだなと思った。平凡なオジサンで初めから胡散臭いだけ。わざとそれを狙って作ったのか分からず。この映画、不可解な回想シーンをアットランダムに羅列して、主人公のトラウマを描出しようとしているように思えたが、結局、最大のトラウマは、恋愛上の苦悩だったという陳腐な結論に落ち着いたようで、観客をさんざんもてあそんで、なんにもない映画だったというのが映画館を出た時の感想。
 アングラ劇の方は、劇団オルガンヴィトー公演、不二稿京(ふじわらけい=旧名藤原京)さんという元・唐十郎の状況劇場にいた女優さんが座長で作・演出の怪奇劇。タイトルは「幻探偵Ⅳ~縄文怨霊船~」。地下劇場は「不思議地底窟 青の奇蹟」という定員30名ほどの小劇場。
 最初の30分は面白かったのだが、話が日本誕生神話になってから退屈になり、いささか眠気を催す。映画と違って、芝居というのはセリフ過多なので、役者の言葉を聞くための集中力と忍耐力を要する。狭くて窮屈な上、尻が痛くなる、タバコが吸いたくなる始末。
 川上史津子さんは、最初は女科学者で、その後がヤマト姫なる巫女さん。彼女の芝居も三度か四度見たが、今度のヤマト姫が一番女らしくて綺麗な役だった。
 芝居がはねてから、劇場内で小宴会があり、出演者とお客さんの数人が残って、飲んだり食べたりしながら感想を話し合った。川上さんに誘われ私も参加。初日なので、正直な批評は言いづらく、分からなかった点や気になった点だけを出演者の保村大和さんに質問する。座長の不二稿さんがお疲れのところ、私の目の前で鉄板で茄子味噌やもやし炒めを作っていたので、お手伝いする。エビピラフ、餃子は私が作ってさしあげる。
 夜中の12時過ぎまで宴会は続いた。最後までいたのは四人で、私を含め皆、下高井戸から家まで歩いて帰れる人ばかりだった。トロンボーン奏者の及川芳雄さんという方といろいろジャズの話をした。