背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

伝説の女優、グレース・ケリー

2005年10月16日 14時22分38秒 | アメリカ映画
 「アメリカにはすごく奇麗な女優がいて、モナコという国の王様に惚れられておきさき様になられたのだよ」という話を何度となく母親から聞いていた。私が小学生の頃だった。
 グレイス・ケリーという名前を覚えたのは、それからしばらく経って、中学生の私が洋画ファンになってからだった。ただ、その頃はビデオもなく、グレイス・ケリーという女優を映画雑誌の写真で眺める程度で、実際映画を見る機会はないまま過ごしていた。
 私が初めてグレイス・ケリーの映画を見たのがいつだったか、もう今では覚えていない。テレビの洋画劇場だったような気もする。映画は「喝采」だったように思うが、記憶はあいまいである。映画館でなかったことだけは確かだ。私は残念ながら映画館でグレイス・ケリーの映画は一本も見ていないのだ。
 その後、大学を出てから、ビデオでヒチコックの作品を立て続けに見た。そのとき初めて伝説と現実が一致した。母親の言うとおり、すごく奇麗な女優だと、つくづく思ったのだ。
 ヒチコックの「ダイヤルMを廻せ」「裏窓」「泥棒成金」の三作は、グレイス・ケリーが出ているということもあるが、作品的にも甲乙つけがたいほど好きな映画だ。サスペンス度から言えば「ダイヤル」がいちばん高く、ロマンチックなムードから言えばケーリー・グラントと共演した「泥棒成金」がいちばんである。「裏窓」はジェームス・スチュアートのとぼけた味が発揮され、お相手のグレイス・ケリーの美しさが一層引き立って見えた。彼女がいちばん奇麗に映っているのは、やはり「裏窓」かとも思う。
 彼女の初期の作品「真昼の決闘」を見た覚えがないので、それはひとまず置くとして、「喝采」のケリーはそれほど好きではない。最後の映画「上流社会」は、なにも彼女でなくても良かった気がしている。相手役のビング・クロスビーがあまり好きでないからかもしれない。
 グレイス・ケリーが自動車事故で亡くなったのは1982年だった。その後モナコ妃になってからのケリーの苦悩と悲劇が報道され、本も出版されて、この美しき女優の神話は崩れ去ったかに思えた。しかし、今にして思うと、たとえそのシンデレラ・ストリーは地に堕ちたとはいえ、絶頂期に身を引いたグレイス・ケリーの輝きは決して失われるどころか、かえって一段と増したと思うのだ。光が暗い影によってそのまばゆさを増すかのように……。