背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

写楽論(その12)~内田千鶴子さんとの出会い

2014年04月29日 06時22分55秒 | 写楽論
 内田千鶴子さんに初めてお会いしたのは、今から2年ほど前(平成24年1月29日)、ご主人の内田有作さんのお別れの会でのことでした。中野サンプラザの10何階かにある大きなホールで、夕方からの会だったと思います。内田有作さんは映画監督の内田吐夢のご次男で、平成23年12月7日、77歳で大腸ガンのため亡くなりました。お葬式は内輪だけの密葬だったので、翌年1月の最終日曜に、親しくしていた方たちを集めてお別れの会を開いたのです。喪主は千鶴子さんでした。
 私は、中村錦之助の映画ファンの会の代表をしながら、上映活動を行なったり、映画の本も編集制作しているものですから、錦之助主演の『宮本武蔵』五部作などを作った監督の内田吐夢についても以前からずっと関心がありました。そうした関係から、平成22年(2010年)夏、私が企画推進役になって、池袋の新文芸坐で内田吐夢没後40年の追悼上映会を催すことになりました。
 あれは確か5月の半ばだったと思いますが、内田有作さんに初めてお会いして協力をお願いしたのです。その時のことは今でも記憶に鮮やかで、有作さんとまるで十年来の知り合いのように意気投合して、朝まで飲み明かしました。有作さんは1970年代初めに東映生田スタジオの所長をしていて、「仮面ライダー」の生みの親の一人として有名なのですが、私はそっちの方はほとんど無知で、関心があるのはお父さんの内田吐夢だったので、その話ばかりしていたと思います。それから、有作さんとのお付き合いが始まって、お会いするといつも朝まで飲みながら話していました。上映会に際し、私が「内田吐夢の全貌」という記念本を作れたのも、有作さんの絶大な支援があったためです。
 奥さんの話も時々お聞きして、「写楽を探せ」という本も有作さんからいただきました。その時、ざっとですが、この本を読みました。内田千鶴子さんが20年近く写楽の研究をしていて、能役者の斎藤十郎兵衛が写楽だったという事実を突き止めているかけているという内容でした。 



 そして、内田吐夢が晩年、最後の大作として「写楽」という映画を作りたいと思い、構想まで練っていたことも知りました。千鶴子さんは、1970年に内田吐夢が亡くなってから、有作さんと結婚したのですが、写楽を研究するきっかけになったのは、内田吐夢がシナリオ作家の水木洋子に書いて、結局投函しなった長文の手紙だったそうです。その手紙の文章は、「写楽を探せ」に掲載されています。
 内田吐夢の上映会は、8月の夏の真っ盛りだったのですが、10日間大盛況でした。おそらくあれほど豪華なトークゲストを招いた上映会は、後にも先にもなかったと思います。淡島千景、有馬稲子、丘さとみ、水谷八重子、風見章子、星美智子のみなさん、そして、マルハン(大手パチンコチェーンで新文芸坐の経営主)の韓昌祐(ハンチャンウ)会長も初日にお祝いにいらしてくれました。有作さんもトークショーで挨拶されました。
 話が長くなりましたが、千鶴子さんにお会いしたのは、有作さんが亡くなってからで、お別れ会の時は、挨拶程度で少ししかお話ししませんでした。それが、納骨、三回忌とお会いしているうちに、千鶴子さんと喫茶店へ行って、いろいろな話をするようになり、多分有作さんもあの世から笑って見ていると思うのですが、最近では月に一度くらいはいっしょに昼飯を食べたりするようになりました。この間も、門前仲町で待ち合わせ、富岡八幡の近くで名物の深川丼を食べ、川べりで桜の花見をしました。だいたいお互いの近況報告と世間話が多いのですが、時々写楽や浮世絵の話をすることもあります。それで、一ヶ月ほど前、思い立って、千鶴子さんの「宇宙をめざした北斎」(日本経済新聞出版社 2011年2月発行)ともう一度「写楽を探せ」を熟読してみたわけです。
 私は大学の頃、美学・芸術学を専門に勉強していて、昨年亡くなりましたが、世界的に有名な哲学者の今道友信先生の教えを受けたこともあり、近頃急に大学時代に不真面目だったことを反省して、まず手始めに何かと縁の深い写楽の浮世絵から勉強し直してみようと思うようになったわけです。



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2 コメント

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Unknown (はじめまして!)
2018-08-16 08:57:39
私は三浦直美(旧姓:内田直美)と申します。生前、亡き父が叔父、吐夢の話をよくしていて…私の名前を吐夢叔父さんに依頼したと聞いていたので、最近、自身のルーツを辿ることが趣味になり、
様々な書籍やネット情報を読み漁り、
こちらに辿り着きました。
亡き父は吐夢叔父さんと似ていて自身の親族との縁を経っていたので、他親族の話はあまり聞けていませんが…
京都まで映画の撮影を見学をさせて頂いた事などは聞いております。
東京に在住しておりますので、また何か
イベントなどがございましたら参加させて頂きたく思います。
不躾なコメントで失礼致しました。
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お返事遅れて (背寒)
2018-09-13 10:16:21
すいません、三浦直美さま。
ずっとこのブログ、放置したままだったので、気づきませんでした。
吐夢さんが叔父さんなんんですか!とすると、お父様のお名前は徳次郎さん(長兄)か弥三郎(次兄)のどちらかですかね。吐夢さんは三男坊だったので。
私は8年前、吐夢没後40年の時に、池袋で吐夢特集の上映会を催し、記念本「内田吐夢の全貌」を編集出版しました。次男の有作さんとはその際、親しくなりました。
まだいろいろありますが、この場ではなんですから、私の仕事場(エコール・セザム)へメールをくださいませんか。よろしくお願いします。アドレス:sesame@dream.ocn.ne.jp
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