背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

ポール・ニューマン

2005年10月22日 16時07分19秒 | アメリカ映画
 ポール・ニューマンが好きだった。ビデオのない時代、映画は映画館に足を運んで見るか、テレビの洋画劇場で見るかのどちらかだった。60年代から70年代の頃、ポール・ニューマンはスティーヴ・マックインーンと並ぶアメリカの人気スターで、この二人のどちらかが主演した映画であれば欠かさず見ていたものだ。もちろんこれは私だけでなく、当時の映画ファンのほとんどがそうだったと思う。だから、ポール・ニューマンの映画は、封切りの映画は映画館で見て、古い映画はテレビで見ていたと思う。
 ポール・ニューマンは若い頃「第二のマーロン・ブランド」と呼ばれていた時期があったという。が、ニューマンのファンから言えば、とんでもない話で、ブランドとは比較すること自体おかしいと思っていた。ニューマンの方が数段上で、カッコ良さも魅力も比べものにならなかった。ブランドは俳優ではあってもスターではないが、ニューマンは俳優であってしかもスターだった。ブランドは暗くて、とっつきにくかったが、ニューマンは明るく愛嬌があって、親しみやすさがあった。ブランドが鳴かず飛ばずの時代、ニューマンはスターへの道を突き進み、多くのファンを獲得して行った。
 私が初めて見たポール・ニューマンの映画が何であったかははっきり覚えていない。「栄光への脱出」だったような気もする。いや、ヒチコックの「引き裂かれたカーテン」だったか?ヘミングウェイ原作の「青年」のような気もしてくる。それはともかく、映画館で「明日に向かって撃て」や「スティング」を見た頃にはすでにニューマンの映画を数本見ていたことは確かだ。「傷だらけの栄光」と「ハスラー」はテレビで初めて見た記憶がある。この二作はニューマンの若い頃の傑作だが、その後私はビデオで何度も見ている。「ハスラー2」はニューマンが脇役に近く緊張感のない映画であまり好きではない。やはり「ハスラー」は旧作に限ると私は思っている。トム・クーズなんていう若造がポール・ニューマンを押しのけて主役を演じることに、どうしても私は抵抗を感じてしまうのだ。
 「熱いトタン屋根の猫」はエイザベス・テーラーとの共演で、演技派ニューマンの面目躍如といった作品だった。「暴力脱獄」は、マックイーンの「大脱走」を意識して作ったような映画だったが、ニューマンのふりまく愛嬌が魅力的で、マックイーンのクールな演技に対し、ニューマンはホットだった。「傷だらけの栄光」より好きな映画かもしれない。
 「タワーリング・インフェルノ」はスティーブ・マックイーンとの初共演だったが、正直言って二人が一緒に出る必要もないと思った。どちらも主役を張れるスターなのだから、一つの映画にずっと出ればよい。要するにファンとしてはスターは画面を占領してもらいたいのだ。マックイーンもニューマンも脇役に渋い男優がいれば十分。女優は華を添える程度でよい。古い言葉でいうと一人で当たりをとれる「千両役者」なのだ。最近映画界にこうした男優もいなくなったなと思う。
 ニューマン主演の最新作(もう古いが)「評決」という映画はビデオで見た。さずがニューマンといった感じで、見終わって彼の久しぶりの熱演に私は思わず拍手してしまった。
<評決>