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10時と3時のいっぷく

零細建築設計事務所の日常とその周辺を、コーヒータイムに綴ります。

樋口一葉と武田五一のまち歩き

2005年11月19日 | 建築ウォッチング
東京文京区のまち歩きをして来ました。中高年読書会の仲間と樋口一葉関連のまち歩きをして、午後は文京ふるさと歴史館で開催されている、「武田五一展」に関連して行なわれたまち歩きに参加しました。文京区の本郷、西片界隈を一日歩きました。

まち歩きが終わって、文京区のシビックセンターで開かれている「まちかどの近代建築写真展」を見ました。これは私も参加している、近代建築探訪を趣味としているメイリングリストのメンバーが主催しているもので、全国の文字通り街角の近代建築を写したものです。(近代建築というのは、主に日本の近代化が始まった、明治以降昭和初期頃の建築です)
その後、このMLのメンバーの皆さんとは初対面なのに、オフ会をしました。ネットワーク社会に生きているありがたさを感じた一日でした。

アッセンブリー教会

2005年11月14日 | 建築ウォッチング
知人から、「甲府カトリック教会」以外にも古い教会があるよ、と教えられて、町に出たついでに覗いてみました。キリスト教の宗派のことは良く知りませんが、変わった名前の教会です。ここは以前現場に通った時の通り道。しかしその時は脇目も振らずに運転していたものだから、道路から少し奥まっている教会には気がつきませんでした。この教会は日曜の礼拝の時にしか牧師さんも来ないとのこと。そんな訳で中も見る事が出来ず、外から写真を撮っただけでした。何でも甲府空襲の時もすぐ近くまで戦禍にあったのですが、奇跡的にここは助かったとのことです。また出直してみます。

旧下山医院

2005年11月03日 | 建築ウォッチング
入院している従兄弟の見舞いに行ったついでに、近くにある「旧下山医院」をウォッチング。この建物は明治期の建築とだけ分かっているたけで、詳しい建築年代は不明です。木造3階建ての下見板張り、瓦葺きの建築です。平成12年に登録文化財になっています。私の生家に近い所ですので、子どもの頃から見慣れている建物です。こんな田舎に洒落た洋館があるのを羨望の眼で見ていました。ところが長い間、これが3階建てとは気がつかずにいました。前面道路が傾斜しているため、1階部分が低く見えて2階建てに見えたのでしょう。隣に鉄筋コンクリートの病院を建て替えた時に良く取壊さないで残してくれたと思います。

甲府カトリック教会

2005年09月29日 | 建築ウォッチング
仕事で市内に出たついでに、気に掛かっていた「甲府カトリック教会」に寄ってみました。知人から、取壊しの噂を聞いていたからです。「甲府カトリック教会」の存在は「日本近代建築総覧」にも掲載されていないため、建築関係者の間でもほとんど知られていません。私も初めてでした。別棟の事務所にいた老婦人に訪問の主旨を説明して、見学させて頂きました。中に入って驚きました。これは正しく文化財です。山梨にもこんな教会が残っているとは本当にびっくりしました。取り壊しの話があるのは本当のようで、時期はまだはっきりしませんが、何とか残す手立てがないものか、残念でなりません。

一緒に案内して頂いた老婦人に、建築に関する資料が残っていないか尋ねたら、『山梨県カトリック宣教百年誌』という本を見せてくれました。事務所でコーヒーを頂きながらページをめくってみると、1925(大正14)年11月29日に献堂式が行なわれた、と記されてありました。従って築80年経ちます。設計者や図面といった資料はありませんでしたが、市や県の文化財の調査もないとのことで、正に埋もれた文化財といっても過言ではありません。


祭壇を囲むように6体の聖像があるのですが、キリスト、マリア、ヨゼフといった聖像と並んで、一番端に裃姿で刀を持った像が1体ありました。老婦人に尋ねても解らなかったのですが、“百年誌”の中に「トマス籠手田」の像という記事を見つけました。トマス籠手田は長崎平戸の「ゼロニモ籠手田安一」の長子とあり、当時の神父さんが、この6聖像を選んだとのことです。多くの課題を残した訪問となりました。

赤沢宿

2005年09月23日 | 建築ウォッチング
お彼岸ということで、両親や先祖の墓参りに行って来ました。私の生まれは南アルプスの麓の早川町という山村です。私が子どもの頃は結構人口もあったのですが、過疎化の進行が著しく、現在は超高齢化のモデルのような地域です。墓参の帰りに近くの赤沢宿に寄りました。赤沢宿は日蓮宗総本山の「身延山」と、かつては修験霊山と伝えられる「七面山」を結ぶ参道の途中に位置する集落で、各地から訪れる参詣客を迎える宿場として栄えました。急峻な山肌に貼付くように古い家々が立ち並び、平成5年、重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。「江戸屋」「大阪屋」「大黒屋」「両国屋」といった屋号の旅篭があります。現在旅館を続けている所は1軒だけとなってしまったそうです。

裁判所

2005年09月14日 | 建築ウォッチング
以前手掛けた物件が裁判沙汰になり、証人尋問を受けるというはじめての経験をしました。裁判といっても私自身の業務とは直接関係ないことなのですが、始めに“宣誓”をした時は少し緊張しました。TVドラマでみるようなカッコいいものではありませんが、概ねあんな感じでした。ただ裁判官が若い方でドラマのような威厳のあるタイプではなく、親しみ易い感じの人だったのが印象的でした。裁判所の建物はニュースで見るだけで、はじめて中に入ったのですが、見学する余裕もなく、エレベーターの写真を撮っただけです。ドアの廻りに石貼りの縁取りが施してあり、いかにも威厳を表わしているようでした。
純粋に建築の見学ならともかく、こんな所へは二度と来たくないものです。

旧田中銀行

2005年09月11日 | 建築ウォッチング
勝沼町で知人のお母上の告別式があったので、すぐ近くにある旧田中銀行(22035)を訪ねてみました。
明治30年代の建築で、最初は「勝沼郵便電信局舎」として使用され、その後大正9年に「株式会社山梨田中銀行」として生まれ変わったそうです。銀行の後は住宅として改修され、第二次世界大戦中は、田中本家に北白川宮が疎開し、田中銀行は関係者の水戸部孚の住宅として使われたそうです。建築したのは山梨県下に“藤村式建築”を多く手掛けた、下山大工の松木輝殷です。鉄柵は“田中”の文字をモチーフにしたデザインですが、戦時中供出され、復元されたものです。

法人会館

2005年09月03日 | 建築ウォッチング
知人宅へ行く前少し時間があったので、近くの法人会館(旧甲府商工会議所)をウォッチング。大正15年の建築ですが、何年か前に改修され綺麗になりました。有名な建築家の設計ではなく、地元の技術者が手掛けたもので、今も街に溶け込み愛されているということは素晴らしいことです。